マッツの次回作『Arctic』撮影後インタビュー(二段階翻訳)(2017/5/6)


アイスランドのFréttablaðið紙がマッツにインタビューしてくれていました!
元記事はアイスランド語ですが、Google先生は欧州言語から英語への翻訳は割とお得意マシなので
お力添えいただき、それをさらに私が和訳しました。意外と大変だったよ…!:(;゙゚’ω゚’):

下記が関係者さんのTweet。でも記事に書いてあるライターさんの名前(Magnús Guðmundssonさん)とは違う…なんの役割された方なんだろう。この新聞で書いてるとは呟かれてるけど。

そしてこちらが元記事のweb版
でGoogle先生の英訳がこちら。15%くらい変なところある感じ。

では早速和訳。
いつも通り[ ]は私の補足やコメント、映画タイトルの和訳は適当です。
今回はGoogle翻訳(アイスランド語→英語)の和訳なので、精度がいつもより落ちてること忘れないでね。怪しい部分は一応調べてマシなものにしてます(*部分)。


[写真キャプション]ここアイスランドにて、非常に骨の折れる状況のなか短期間に撮られた映画『Arctic』に出演したマッツ・ミケルセン

「いい生活をしてるよ。僕はデンマークにいてただとてもリラックスし、それを楽しんでいる」と俳優のマッツ・ミケルセンは言う。彼は最近『Arctic』という映画の撮影を終えた。その作品は若い監督であるJoe Pennaによって監督され、アイスランドの企業であるPegasusの協力のもとアメリカの企業であるArmory FilmsとUnion Entertainmentとによって製作された。その作品の助監督以外の芸術監督とスタッフがすべてアイスランド人であるだけでなく、撮影もアイスランドで行われた。

マッツ・ミケルセンは、ボンド映画である『カジノ・ロワイヤル』、『ローグ・ワン・スター・ウォーズ』といった作品やデンマークで受賞した『偽りなき者』やその他多数の作品、そしてデンマークおよびアメリカのテレビシリーズでも世界的に有名な記録をうちたてた。その栄光にもかかわらず、マッツ・ミケルセンの心は、もっぱら彼の言うところの”ロックンロールな”プロジェクトにあって、『Arctic』もそれらのプロジェクトのひとつであるという。それはおそらく、その作品がそれほど骨が折れ困難なものになったためだろう。
 
 
強い欲求はなかった
マッツ・ミケルセンは、それゆえ[今は]幸せであり、彼が生まれ育ったコペンハーゲンにある自宅にいるのはいいことだと言った。演劇をすると決めた理由を尋ねると、彼は実は幸運*の連続として始まったと言った。「僕が子供だったとき僕は体育館にいて、ミュージカルに参加して背後で何かしてくれと言われ、そんな感じでちょっと踊っていた。その振付師が僕にダンスを学んでみないかと聞いてきて、僕はその扉を叩き、それがきっかけであっという間に9年間プロとして踊ることとなった。そして演劇に興味を持った」
[*ここ「幸運(tilviljana)」がaddiction(中毒/執着”)と英訳されてた。。Google先生ー]

ダンス[のキャリア]ののち、彼はデンマークの大手演劇学校のひとつであるAarhus Drama Schoolに入学*した。マッツはそこでの数年間はいい時期だったという。「ここはいい都市だ。でも生徒達はいつもお金がないから、そこで学んでいるときはその街を楽しめることはほとんどない」と、マッツは思い出に笑いながら言った。「でもそこで学んで*いくと、キャリアというものはいつだってただ起きることでしかなかった。僕は強い欲求[calling]のようなものを感じたことはなく、それよりも、何かによって何かが起こるというようなものだった」

「例えばこんな風に。最後の冬の前の夏*に、僕は、僕の初めての作品である*Nicolas Winding Refnの『Pusher』に出演した。『Pusher』は夏休み中にそこで撮影され、そして僕がその次の春に卒業したとき、ちょうどその最初の映画が公開された。だから、僕は仕事を探しに外に出かけてノックしなくていいようなラッキーな人間のひとりだったんだ。僕はすぐに劇場での仕事を手にして、いくつかの作品に参加しないかと誘われた。だからこれ以上はないくらいに快適だった」
 
 
デンマークの革命
マッツ・ミケルセンは、彼曰くデンマークがかなりうまくやり遂げたという、デンマークの映画革命の立役者達と心を同じにしている。「映画製作におけるデンマークの成功は、偶然でも幸運でもない。ここ数十年のあいだに国が映画製作に対して行った投資が非常に重要だったと証明された。もちろん僕たちは、その[投資の]期間がデンマーク映画界における今の盛り上がりよりも、もっと長い期間であったことを忘れることはできない。でも問題は、これが目標を絞った方法でありながらも全力で為され、そして安定が保たれたということなんだ。その結果、デンマークの映画は国際的な市場において非常に強くなって、年によって差はあるものの、強力なビジネス*となっている」

「もちろん、国の関与はその優れた業績に少なからず影響しているだろうが、僕はその世代の者たちも少なからず関係していると思う。その時期、1990年中盤にその演劇と映画の学校から輩出された世代は、ある1つの情熱を共にしていた。その世代にあたるみんなは、80年代から90年代初期までの映画に対する愛を共有していた。僕たちはそれらの映画を何度も観て、そして、なんで僕たちはこれと同じようなことをしたことがないんだろうと思ったんだ。僕たちは、ある意味本当に行き詰っていた。デンマークにはいい映画が何もなかったとか、いい俳優が十分にいなかったという意味じゃない。そんなことはなかった。問題は、デンマークの映画製作には何もリスクがなかったことなんだ。僕が今話してるその世代は、それを変えたんだ。リスクを取った」

「Martin Scorseseの映画が好きな僕たちは、彼の作品の中で面白いと思ったものを作り上げようと模索した。Cassavetes
[多分この方]が好きな人たちは、それについて作業した。これが決定的な革命へと導いた。その結果、僕たちは型*から抜け出し、長い間陥っていた停滞*から抜け出した。そして僕はそれはその世代によるものだろうと思っている」

「僕たちは、映画について同じエネルギーと同じ意見を持っている同じ年齢の人たちだった。でも一番大事なのは、自分の若い頃について語りたがる72歳の監督と仕事をしていなかった。そういったことは僕たちには何ら関係しなかった」

マッツは、デンマークのような国にとっては、自身のパワフルな映画製作業界を持つことが重要であるということを強調する。「これは言語にとっても重要だ。僕たちは、デンマーク語が明日グローバルな言語になったりなんかしないと知っている。でも、母国語なら映画というものを深く考えやすくなる。NYで起きていることよりも近所で起きていることの方がより身近に感じられるようにね。だから、僕たちにとってデンマークで作品を作り続けることは重要なんだ」

[写真キャプション]マッツ・ミケルセンは今までにない大きなイベントに出席している。が、心は家族とコペンハーゲンの家にある。
 
 
Buster Keatonから貧しい者へ
マッツは、非常に多くの映画が彼に影響を与えたと個人的に感じている*が、当時はそのことに気付きもしなかった、と語った。

「顕在意識にゆっくり浸透していくのは映画の特性としてよくあることだ。でも子供だったとき、僕はブルース・リーとBuster Keatonに完全に魅了された。彼らは僕の人生における2大巨頭だったんだけど、いま実際に多くのことが彼らに共通していると考えるのはちょっと面白い*。彼らはどちらも、大画面で自由自在に活躍し*、偉大で強い存在感を放っている。彼らはシンプルなセリフを用い、どちらも肉体的に非常に能力にあふれていて、そして彼らのスキルは僕をいつも魅了するんだ」

「その後、僕の映画に対する姿勢を変えたMartin Scorseseによる『Taxi Driver』が一番上に来た。その時点では僕たちは、善いやつと悪いやつ*がいて、そいつらの間で何かが起こる、という映画を見慣れていた。でも『Taxi Driver』では、観客は、ただの貧しい男であるけれどよく見知っているこの隣人[=どこにでもいそうな人]を観た。この男は、自分自身を嫌いでいながら、同時に好きでもある。僕はこの作品を初めて観た後に映画館を出たときのことをよく覚えている。僕は完全に混乱していた。その黒と白の壁が破壊されたんだ。その”善いやつと悪いやつ”*の考えが。そしてそのとき僕は、映画というものが、一人の人間にすべての物事を疑わせ*たり、物事を再度考え直させることができるということに気付いたんだ。『Taxi Driver』は何の答えも与えないけれど観客に考えさせるような映画だから、その作品を何度も見返すたびに大きなインスピレーションを与えてくれる」

『プッシャー』はマッツ・ミケルセンが演じた初めての作品だったが、『Taxi Driver』が影響を与えたのだろうか*。「もちろん。でも『プッシャー2』が実際に『Taxi Driver』に関連する作品だ。僕たちは、本当に馬鹿な男だけどそれでも気になってしまう男の物語を追ったからね。感情移入をすると同時に殺したくなるような*男だ」と言ってマッツは笑った。「でも、明らかに『Pusher』が僕のキャリアを大きく変えてすべてのドアを開けてくれた作品だけど、でも僕は続編*の方がもっといい作品だと思ってる。その作品はよりずっと賢くて[snjallari: more clever, smarter]、明らかに僕の映画への気持ち[kvikmyndahjarta: movie heart]を大きく占めている」
「同じように、僕の好きな美しい作品である『The Hunt』も。Susanne Bierの『Open Hearts』も。僕のキャリアにはそういったものがもっとたくさんある」
[Open Heartsの原題がElsker dig for evigt、英語でLove you foreverと今知った]

「でも役者としての僕にとっては*、僕を極限まで追い詰めた映画について触れるべきだな。その作品は、当時法に触れそうなギリギリの作品だった。僕たちはそんなドキュメンタリーと現実に即したスタイルで仕事をしていた世代だったからね。その作品は、Anders Thomas Jen­sen監督のブラック・コメディ*である『フレッシュ・デリ(The Green Butcher)』だ。その作品は自殺行為になるかどうか*の瀬戸際にあって、それでも僕たちはやった。その作品では、僕たちは演劇の登場人物[leikhúspersónur: theatrical character]のようなキャラクターを作り出すことを思いついた。僕はそれをやり遂げた*ことをとても嬉しく思っているし、僕はその映画はかなり優れた作品だと思う。
 
 
鎧の亀裂
「コメディ[を演じること]*の裏にある秘訣は、それをかなり真面目に受け取らなければならないということだ。例えば、そのキャラクターが何かについて怒ったり打ちひしがれているとき、それがどんなに滑稽であっても、それを尊重しそのままでなければならない。真摯さのなかで、すべてがほんとうに異常で可笑しくなるんだ」

マッツは、彼にとってはそのコメディの真摯さはBuster Keatonのような天才達に遡ることができると言う。「彼はその天才だった。そして彼の作品でもっとも好きなところは、彼が微笑むところだけどそれはとても稀なんだ。でも彼が微笑むとき、それは天国の扉が開いたような感じがする。もちろん、僕が子供だったときはそれに気付かなかったけど、でもそれが魅力的だった*。僕はその技能のファンだ。俳優は、いつも幸せだったりいつも悲しかったりする役ではなく、リアルな役を演じるべきだ。Buster Keatonはいつも、他の人たちが理解できない何かをする人を演じるんだけど、その鎧に穴と亀裂が生じて、それを通じて僕たちは何が起きているのか知ることができるんだ。その流れこそが、いつも僕を魅了するんだ」

[写真キャプション]マッツ・ミケルセンはアイスランド人と仕事するのが大好きだと語る
 
 
[撮影]環境を愛する
「仕事を完成させたのも素晴らしかったけど、困難に打ち勝てた*のも素晴らしかった。君と君の読者達は、もちろん僕よりもアイスランドのことをよく知ってるよね。この作品は北極を舞台としているんだけど*、アイスランドを知ってる人なら、天気が刻々と変わっていくことを知ってるだろう。そのせいで僕たちは天候にかなり振り回されて、状況をなんとか立て直そうとしないといけなくなった。天気の変化にあわせてシーンを飛び飛びに撮らないといけなくなって*、そして僕たちがそのシーンを撮る準備ができたときには、また違う天気になるんだ。だから僕たちはそういった環境とずっと戦っていた – このずっと変化し続ける天候と。僕たちが諦めるまでね」

「天気がどうだろうと関係なく映画を撮影するしかないと言う結論に達したんだ。僕たちはただそのやり方に委ねた」とマッツはその考えに笑いながら言った。「それは僕たちにとってずっといいことだと分かった。それ[よい天気]を追い求めることがなくなった。それでも、これは美しい映画だ。アメリカの映画とはかなり違う、といってもそれはアメリカ映画なんだけど、心を打つ強いストーリーになってる。結果を見るのを楽しみにしてるよ」

マッツは、アイスランドで働くことはまた、世界の他の地域で働くこととかなり違うと言った。「僕はアイスランドを愛している。人々とその国を愛している。アイスランド人の仕事っぷりを愛している。今や僕は3回アイスランドにいたことになるんだけど、アイスランドの人たちが僕たちがしていることのためにしてくれる*ことに、いつも魅了される。人々は何枚も重ね着して、口元に微笑みを浮かべながら、なすべき仕事をするんだ。この映画の仕事はとても大変だったけど、僕はあんなに一生懸命でありながらも前向きで明るく仕事をするたくさんの人たちを見たことがない」

「もし5つの組合と8人がすべてのことについて毎日文句を言っていたなら映画を作ることができないから*、それはまさに必要なことだ。これについては、労働組合はどうでもいい*んだけど、ただ映画を作れる[映画作りに専念できる]ということが時に非常に素晴らしいことがある」
[“どうでもいい”って訳したけど”not giving shit”と普通に上品ではない言葉使ってる。マッツたまにこう言う言葉使う]

マッツは、Arcticは難しい仕事であり、困難な状況の日には*また肉体的にも試されたと言う。「でも、それを22日撮ることで気付いたんだけど、そんなロックンロールな仕事を自分がしていると理解しているときは、人はそのゴールのこともしっかり認識しているものなんだ。それがどんなに難しいかなんてどうだっていい、気にしない。そして数週間後にはきっと終わらせてるんだ」

「映画というものは色々な意味で困難となりうるものだ。ときには1シーン*を演じ、他の人たちを撮っている間は1日か2日自由で、次のシーンについて静寂の中で考える。でもArcticでは、僕は毎日、朝から夜までの毎分、出ずっぱりで、他に何もなかった。僕はその勢いの中にいられることを楽しいと思う。そしてその状況では何かが、何か特別なものが作り出されうるんだと信じてる。僕は、そのエネルギーのなかで仕事をし、それを最大限に利用することに非常に魅力を感じる」
 
 
これは夢なんだ
マッツ・ミケルセンはとても引く手あまたな役者だが、次に何をするつもりなのか考えがあるとは言わない。「分からないよ。映画を作る仕事をしている僕達にとって、僕たちが二度とやり直せない仕事を完成させたという感覚を共有しているというのは事実だ*。それは永遠に変わらないことだ」とマッツは言い、何か考えて笑った。「でも、次の2年間完全に予定で埋まるというのもまた恐い。僕はいつも考えるんだ: 何か他に絶対的に凄いことが起ころうとしていたらどうしよう?それは何だろう?ってね。だからそれは諸刃の剣なんだ。でも僕はそれをある程度受け入れることを学習していて、リラックスするように心がけている。だって僕はそれを変えることは出来ないからね」

「オファー*があって、もし僕がそれを気に入らなかったら、僕はノーと言う。僕は、プロジェクトをお金が理由で選ぶのではなく、何か興奮を感じてやりたいと思うのが理由で選ぶ、という域に来ている。それは明らかに贅沢なことだよね。人はときにはお金のためだけにそれをやるんだから。でもいま僕はこう言えるいい立場にいる: あのね、僕は長い休暇を取っているんだよ」とマッツは言い、いい休暇を楽しんでいることを隠そうとはしなかった*。

「僕が休暇を取るときは、家に帰って家族と過ごす。僕は愛らしい女性と結婚していて、25歳と19歳の2人の子供*がいる。僕達はたくさんの時間を一緒に過ごし、たくさんのスポーツをし、僕は自転車に乗り、テニスをする。それが僕の人生でリラックスする方法だ。僕はいつも身体の調子が良くて、いつも体操選手のようなことをしているわけではない*。でも僕は51歳で、僕の身体は以前と同じペースでは回復しない。問題は、僕はいつも年齢のことを忘れてしまって、夜に身体がそれを教えてくれることだ。4時間のテニスはもっといいものなんだって言ってほしいよ」とマッツはいい笑った。
[お子さんのところ”tvo stráka (two boys)”と訳されてたけど誤訳だよね。息子さんと娘さんが正。あと体操選手のくだりは訳違うかも。原文の”ætli að fimleikamaðurinn”を”体操選手っぽいことをする”と解釈してる]

「キャリアに関して言えば、アイスランドでやっていたことで夢が現実になった*。それは[僕たちの]原点*だ。僕の世代が惚れ込んで、ある日その一部になることを夢見た、映画のロックンロール。僕はそれらのプロジェクトの一部に参加したことがあるけど、そういうプロジェクトは毎日やって来るようなものじゃない。全然違う。もし僕が幸運だったなら、1つか2つのそういった他のプロジェクトに参加できるくらいだ。でも、アイスランドでのそのプロジェクトは、僕のところに来てくれたし、それは僕達俳優が夢見るものだ。そのプロジェクトに加わって、年齢のことを忘れて自分が21歳だと思い、ただやってみる*。これはすべての俳優の夢だと僕は思う」
[危険を恐れずに撮ったのかな。。スリラーらしいし。。でももっと前の方では”心を打つ強いストーリー”と言ってたから辛いだけの話じゃないはず…]


Arcticは心を打つ強いストーリーなスリラーとのこと…どんな作品なのか気になります。日本公開来るかなぁ。来てほしい。
あとマッツはロックンロールって言い方お気になんだね。ローグ・ワンのベンとのインタビューでも二人で”rock..” “..and roll”って言ってた。(* ゚д゚)ハッ!もしや二人の合言葉的な

あと二段階翻訳、割とほんとに大変でした。。。Twitterで❤️くれた方々ありがとうございます。割とそれなかったら危うかった。。
アイスランド語少し覚えたよ。and(og)とbut(en)とthat(að)とfilm(mynd)が分かる。文頭では英語の倒置みたいな動詞前に出てくるパターン多いことも気付いたし。あと名詞に性別あるのも分かった。あとíは前置詞だよね。お腹すいた。