AUGUSTMANのインタビュー和訳


シンガポールの雑誌AUGUSTMANのインタビューがなかなか良かったので和訳します。

こちらの雑誌は、紙版は公式通販はシンガポール国内しか対応しておらず、他に買える方法は今のところ見つかっていません。電子版は公式サイトからリンクのあるこちら(https://www.magzter.com/SG/Burda-Singapore-Pte-Ltd/August-Man-SG/Lifestyle/)から300円弱で購入できます。Webサイトに公開されている以外の写真も1つあるので、購入おすすめです!

 

さて、いつものように、和訳は直訳気味です。下記の和訳をどのような形でも使用する場合はソース(この記事へのリンク)を明記してください。[ ]は私の補足です。


Source: https://www.augustman.com/sg/culture/film-tv/mads-mikkelsen-how-he-played-epic-villains-and-still-won-our-hearts/

 

マッツ・ミケルセン:どのように有名な悪役たちを演じ、それでも我々のハートを掴んだのか

Skovshovedは、北海に面した趣のある小さな町である。そこはデンマークのビバリーヒルズと呼ばれることがあり、数名の大使がそこに住んでいるが、そのもっと有名なアメリカの”いとこ”と似ている部分は何もなく、カラフルで小さな北欧の家屋が並んだ静かな通りがある。その近くには大きな港があり、かなり良いヨットがいくつか停泊している。そこはまた、とてもデンマークらしい国民的娯楽を行う場所である:非常に冷たい水の中を裸で泳ぐこと。季節に関係なく。

さらに重要なのは、そこにデンマークでもっとも偉大なスターが住んでいるということだ。彼の会社に行くためコペンハーゲンまで飛行機で行く正当な理由になる。「マッツ・ミケルセンはここにいます」とホテルの受付は私たちに告げた。彼らは嘘をついていなかった——受付デスクのちょうど隣に、ジャージを着た50代の男性が立っていた。「いつだって直前まで参加するバスケの試合がどこかにあるんだ[それに出くわしたら参加するため]」と、ジェームズ・ボンドの至宝を叩きつけたことで有名な男は、彼の服のチョイスを説明する際にそう言った。

スポーツが、結局のところ、仕事をしていないときのそのスターの趣味だ。何かミステリアスな理由から、ハリウッドは今までミケルセンが悪い奴らを演じるべきと決めてきた。しかし、これほどに才能のある人を長いこと型に嵌め続けられるとは考え難い。新作の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』で彼が実際に悪役を演じるとはいっても、ミケルセンには幅広い様々なプロジェクトが先に控えている。彼は親切にも、彼の二重のキャリア[double career]について私たちと議論してくれた。

 

あなたが育った近所で撮影したかと思いますが、合っていますか?

[育った場所は]そんなに遠くない。僕がいま住んでいるところの近所だ。僕が育った近所はコペンハーゲンの真ん中にあって、昔ながらの労働階級のエリア。それから僕はお金を貯めて、そこから引っ越した。

あなたが育った地域とあなたが現在住んでいる地域の両方について少し教えていただけますか?

[マッツが育った]Nørrebroは、3つあるコペンハーゲンの労働階級エリアの一つ。みんな子供の頃は、世界というものは大きすぎるよね。自分がいるところにただ留まる。それで僕は他の場所に足を踏み出す前に、何年もそこにいた。そして、みんな外の世界は全然違うと考えて…そして…自分を試しに出ていく!そして後になって、僕は、そうではない、それはかなりクールなことだと気付いた。それ[Nørrebro]は古風で、60年代や70年代のよう。かなり多くの老人、子犬たち、ベンチに座っている人たち。誰かが買い物をするとき、彼らの赤ちゃんの世話を誰かが見る。それはとても平和で、昔ながらの大都市の環境だ。僕の新しい場所は海に近くて、森にも近くて、僕はそれを気に入っている。そこはただ開けていて[open air]、そんなに多くの車は通らない。それは[Nørrebroとは]違う生活だ。

そのコペンハーゲンの近隣で育ったことは、あなたをどのように作り上げましたか?あなたのパーソナリティに影響したと思いますか?

ある程度は。そこで育った人がみんな同じパーソナリティを持つといったものではない。同様に、他の場所で育ったとしてもね。もちろん、育った場所によって人は型作られる。それはいつでも自分についてまわるものだ。でも、それがどの程度僕を型作っているかについては、分からない。泡[bubble 閉じた世界]で生きるよりは、生涯にわたって様々な環境に身を置いて色々なものを少しずつ経験する方がいいんじゃないかなと思う。

あなたはTV番組を見て英語の話し方を学んだと[いう話を]読んだのですが、でも私には信じられません——誰が見てもあなたの英語力は素晴らしくて…

英語は国際語だから、身につけるしかないと思う。僕はモンティ・パイソンのレコードを聞くことで英語を身につけたと思う。もっと後になるまで、その番組を見てはいなかった。でも僕の兄がモントリオールにいて、学校の旅行で…彼は合唱団にいたから——とても、とても有名な国際的な合唱団に。それで、合唱団はちょっと旅行することになって、兄は『空飛ぶモンティ・パイソン』のレコード10枚を持って帰ってきた。そしてそれには、彼らのスケッチ[コント]が全部入っていた。僕たちはただそれに飛び込んだ。僕たちはそれら[コント]を全部覚えていた——僕たちはまだ全部覚えているんだ![過去形を現在形に]

明らかにその時点では、僕たちはただ彼らが言ったこと全てを繰り返していただけで、その意味が何かはさっぱり分かっていなかった。いくつかの単語は僕たちは聞き取れて理解できたけれど、他は僕たちにとってはただの意味不明な言葉で、でもそれが僕たちの英語へのアプローチ方法だった。その後、僕たちはどんどん理解するようになった。それが僕たちの英語への入り口だった。

 

「僕は沈黙の大ファンだ。同じことを言葉なしでできるのなら、その方がいい時があると思う」——マッツ・ミケルセン

 

それなら意味がもっと分かります。私はTV番組[を見て英語を身につけた]と思っていて納得できていなかったので。でもそれがレコードだったのなら、英語を身につけるためにきっと何回も聴かれたのではないでしょうか?

うん、全くその通り。何回も何回も何回も繰り返しね。それは古風な感じで、ビニルだった。僕たちは部屋にただ座って聴いていた。それは素晴らしかった。僕たちはそれが面白いと思っていた。何も分からなくても。後になって、彼らが誰であるかを知るようになった。彼らは自身のTV番組を持っているということも——突然デンマークのテレビで放映され出したんだ。僕たちは何日もテレビに齧り付いて過ごした。

彼らは当時素晴らしい活動をしていました。恐らく英国の最高のコメディグループでしょう。

それは明らかに革新的だった。僕が子供だったときどんなユーモアのセンスを持っていたか知らないけれど、絶対モンティ・パイソンに影響されていた。だって僕たちは、彼らが世界に示したその不条理なコメディのブランドにまっすぐに飛び込んだのだから。[その飛び込みが]最初から大成功したわけではなかった——モンティ・パイソンの物語にハマったのは少し後になってからだった。そして、明らかに彼らはBBCのスタジオに青色の髪で座っていて、当時は人々は微笑んだりも笑ったりもしなかった。だから彼らの最初のいくつかのエピソードは大惨事だった。その後、彼らは観客を見つけた。主に若い人たちだった。

俳優になる前、あなたはバレエダンサーでした。ダンサーであるのに必要な規律は、演技をするときに役に立ったかなと思っているのですが。

確かに役に立ったと思う。ある程度ね。体操における規律は、僕がやっていた時は多分そんなに高いレベルではなかった。僕たちはデンマーク人だった。僕はデンマークで上位20位とかだったかもしれないけど、それは大したことではない。それはロシアで言えば上位2,000,000位とかになる!そういうレベルの差が国によってあったんだ。僕たちはロシアのクラブの訪問を受けたときにそれに気づいた。僕たちは色々できたし、フリップもできた。僕たちにとっては、それはまた、ただの楽しい遊び場だった。その後、僕がやめたあと、デンマークのチームはロシアと中国のコーチを得て、それから規律というものが現実になった。でも、ダンサーとしては、それは別の話だった。そこにはたくさんの規律があった。いろんな理由のために。それはコンテンポラリーダンスやバレエの性質なんだけど、何をするにしても、そんなにお金がないんだ。部屋が一つある、その部屋を、例えば3時間だけ借りている。それはつまり、君はそこにいなければならない、時間通りにいなければならない、そして君は既にウォーミングアップを済ませてなければならないんだ。時間を粗末にできない。それが、僕が10年間ダンサーだったときに僕たちがし続けてきたことだった。

そして、僕が俳優になったとき僕はかなり驚いた。というのも、誰も時間通りに来ないんだ!彼らはコーヒーカップやタバコを手にして現れて、30分くらい雑談をしてからやっと始められる!僕はただそれにあっけに取られた。「おい、何やってるんだ?仕事するんだろ!」という感じ。でも、それは違う規律なんだ。僕はずぼらなときもあって、タバコを手にして現れることは僕もあるけど、でも僕は、僕たちが集中することに取り組んだら、物事を仕上げてしまうのが好きなんだ。ときには、何かについて話すことだけが仕事で、それをすることで物事が仕上がることもあるけど、でもそれは少なくともクリエイティブなんだ。自分たちがしていることと関係のない何か他のことについてただ雑談することじゃない。

『プッシャー』トリロジーについてですが、それはかなり異例のデビュー作だと私は思うのですが、それはバンセン・カッセルの『憎しみ』[原題: La Haine]を思い起こさせます。あなたがその映画をよくご存知か分かりませんが…。

バンセン・カッセルはよく知っている。彼は僕の好きな俳優の一人だ!

その[プッシャーの]物語が起こったコペンハーゲン近郊のことはご存知でしたか?

えっと、そこは僕の地元で、そこが僕が育ったところなんだ。それは都合が良かった。その監督[ニコラス・ウィンディング・レフン]がその地域に馴染みがないという点から。彼はまったくもって違う社会的階級の出身だった。僕が意味することが分かるかな。彼は中流階級のやつで、彼はニューヨークにいたことがあって、彼はそこに住んでいた。でも彼は、この環境で起こる彼の物語を語りたいという、一つの動機[突き動かすもの]を持っていた。そして彼は、僕たちが彼のその物語を解釈するよう、かなりオープンに頼んできた。彼は無表情でこう言ったんだ。「ここは僕の地域じゃない、ここは僕の場所じゃない、君たちが僕を手伝ってくれ、僕はただこの物語に息を吹き込みたいんだ」と。だから、彼はたった3人の俳優だけをその映画に残すことにした。残りの役はその地元の人たち、現実の犯罪者たち、現実の麻薬中毒者たち、などなど。だから、それは混合物のようなものだった。彼はいつもそうするのを好んでいる。それ[撮影]は「ロックンロールをしよう!」という感じになった。僕たちはそんなにお金を持っていなかった。映画を撮ろう!それが僕たちのやり方だった。

あなたは『偽りなき者』でカンヌにてパルムドールを受賞されました。その映画が昨今かなりよくある話題(子供への性的虐待疑惑)から始まりますが、それが解決される方法がアメリカの映画とは違うように思え、大変興味深いと思いました。誰も刑務所に入らず、誰も殺されず(あの犬は除いて)、物事はほぼ通常状態に戻ります。それは典型的なデンマークの問題解決方法ですか?もしアメリカ人の監督だったらきっとそれ[解決方法]は異なっていたでしょう。

それはいくつかの意味では異なっていただろう。その映画の道徳[moral]については異なっていない。明らかに。嫌疑が晴れようが関係ないほどにおぞましいことについて告発され、いつまでも本当に嫌疑が晴れるということがないんだ。ある男が銀行強盗で告発されたと想像してみて。そして彼は銀行強盗をしていなかったと明らかになった。みんなきっとハイファイブをしあうだろう!もしかしたら、彼の嫌疑が晴れる前ですら、数人の人たちはハイファイブをしていたかもしれない。だって銀行強盗は銀行の強盗でしかない。誰が気にするんだ。でも、それがもし子供たちに対するものだったら、そこには僕たちの巨大な恐怖が巻き起こるんだ。僕たちが一番愛しているのは子供たちだ。

僕たちが一番恐れるのは、明らかに、彼らに何かが起こることだ。だから、その道徳[moral]というものは世界中で同じで、その告発の疑念はいつまでも本当に晴れるということはなく、どれだけ反証しようとも関係ない。その物語の道徳はどこでも同じだろうけど、その映画への向き合い方は違うだろう。僕はアメリカ人たちがその作品を初めて見た時のことをしっかり覚えている。その小さな女の子が突然僕の役の唇にキスをしたとき、アメリカ人たちが全員「弁護士を!弁護士をすぐ呼んで!」となった。それはデンマークでは普通のことではなくて、ヨーロッパの他の国でも普通ではないんじゃないかなと思う。

僕たちはただ「僕は大人だから、君はそんなことをしたらいけないよ」と言う。それが僕たちの向き合い方。でもアメリカはかなり違う。街角のどこにでも弁護士がいて、すぐに弁護士を呼ぶ。だから彼らはそれについて問題を抱えていて、それ[ヨーロッパのやり方]を信じられない。残念だけど、多分世界の他の国と異なる物語を持っているのはアメリカの方だろう。世界の他の国は、それに対して人間のように向き合う。そして、それが彼がしたことなんだ。そいつ——僕の役——彼はこんな風に向き合った。「僕は何も悪いことはしていない、だから何も恐れることはない」と。そして、なぜ彼が悪かったんだろう?

あなたは俳優のキャリアを2つの異なる言語で築いてこられました。とても印象的です。デンマーク語で仕事をするか英語で仕事をするかは、演技の仕方に影響しますか?あなたの作品を見ていて、デンマーク語は怒りを爆発させにくい言語のようですが、英語だとあなたは声が大きくなりやすいようだと気付きました。

最初に難しかったのは、ただそれが僕の言葉ではないということだったと思う。僕はただ、その言語である程度の自由さを見つけないといけなかった。でもそれはどの言語についても言えることだ。僕はかなり違うことをやってきた。フランス語での映画も、ドイツ語でも、スウェーデン語でも、——ある程度はスペイン語でも。それらの言語では、英語で話すときの半分ほども話せない。それは、自宅にいるように感じる場所を見つけることについての話なんだ。その言語で自分のアイデンティティを見つけるという。

だから、うん、多分最初のうちは僕は二つの帽子をかぶっていたと言えるだろう。僕は二つの役を演じていた:僕は映画で役を演じていて、そして僕は「外国語を話すマッツ」もまた演じていた。そして僕は、それらを融合させる方法を見つけないといけなかった。演じるのがその映画の役だけになるように。それをすればするほど、自分なりの足掛かりが見つかってくる。英語はよりドラマティックな言語だ。僕たちはただ英語でシェイクスピアを演じる人々を見るのに慣れているだけだと思う。

[英語では]何かとても、とても大きなこと、とてもドラマティックなことを言いのけることができて、それはわざとらしく見えない。僕自身の言語では、その限界はもっと早く来る。口にするにはとてもわざとらしく思えるだろう大袈裟な言葉がシェイクスピアにはたくさんあるだろう。僕たちの言語の、僕たちのボキャブラリーにはそれはない。でも、今は、英語の映画をするときには、僕は僕のデンマークのエネルギーを少し持ってくる。そして僕は英語の映画から身につけたことがあるから、それを[デンマークに]少し持ち帰って、多分少しだけもっとドラマチックにするのもやぶさかではない。だから、それは通うのにいい学校だと言える。二つの違う言語と文化があって。

デンマークの映画では、あなたは全種類の役を演じて来られました——ヴァイキングから教師、『アダムズ・アップル』の牧師まで——あなたはコメディもできるのですね!でもハリウッドでは、あなたはほとんど悪役や個性的な役として型に嵌ったキャスティングをされます。この差はどうしてだと思われますか?また、デンマーク映画と同様の役を英語映画でも得ることは、あなたの目標ですか?

やってみたいよ。ぜひ。もしその話が来ていたら、その話を気に入っていたと思う。それが起きなかったのはいくつか理由があると思う。一つは、明らかに、まだ言語と訛りだ。主役を演じるなら、すべてアメリカ訛りでなければならない。その訛りがなくていいよほどいい理由がない限り。それは奇妙なことなんだけどね。だってアメリカ人の80%近くには訛りがあるんだから!でもそれは理由の一つ。もう一つの理由は、アメリカでは、何か好きなものを目にしたら、同じことを繰り返すよう頼みがちなんだ。デンマークではそれは全く正反対。人々はいつも挑戦してきて言うんだ、「オーケー、君はこれはしたことなかったね。僕は君がこれをするのを見てみたい!」って。ここ[デンマーク]ではアプローチの仕方が違うのかもしれない。

僕はそれについては全くフラストレーションを感じていない。君が気付いたように、僕にはコメディをやるとてもいい友人がいる。脚本家で監督であるアナス・トマス・イェンセンだ——彼とは5つの映画を作った。それらは、クリエイティブなセンスで言うところの「過激な」コメディだ。彼はそれぞれの作品に非現実的な世界を築き上げている。でも僕たちはそこに、現実の世界のように現実の感情をもって取り組む。その登場人物たちは頭がおかしいのに!だから、僕にとっては、それは僕が本当に好きな類のコメディなんだ。僕はラブコメの大ファンじゃないし、僕は分かりやすくて薄っぺらいコメディは好きじゃない。僕は彼のコメディの作り方が好きだ。だから、うん、僕は面白くなれると本当に思っているけど、僕が面白いと思うものの範囲の中でないといけない。

僕はアメリカから得た全てのものが大好きだ。何かについてはお断りして、何かについてはお断りしない。うん、そこには僕が演じた色んな悪役がある。でも、彼らはそれぞれ別の世界から来ていて、別の道徳観を持っていて、別の特徴を持っている。だから、僕は[悪役の]そこかしこに新しい要素を見つけ出すし、僕が作っている映画にその要素がうまく収まればいいなと思っている。

あなたはNBCのTVシリーズ『ハンニバル』(2013~2015)でタイトルの役を演じられました。私は別のハンニバル・レクター——アンソニー・ホプキンスと[を見て]過ごしたことがあります。彼のハンニバルはあなたのハンニバルとかなり違いました。彼はレクターの力に焦点を当てていましたが、あなたのハンニバルはもっとミステリアスです。それは意図的な戦略だったのでしょうか?

アンソニー・ホプキンスの道をなぞることはできないという意味で、それは意図的だった。それ[なぞること]は創造的な自殺行為だ!彼のことは名優だと思っている。彼が映画の中でやったことは完璧だと思う!しかし、明らかに、僕たちの手にはTV番組があったんだ。毎シーズン、僕は、役柄を作り上げたりサスペンスを生み出したりできる13時間を持っていた。僕たちは、最初や2番目のエピソードで手の内を全て見せる必要がなかった。だから、僕たちは、彼にする機会があった方法とはかなり違う方法で、それを作り上げることができた。

彼は『羊たちの沈黙』では登場時間が14分だったけど、それでも彼はあれほどの巨大なインパクトを僕たちに与えた。その作品では、彼はしないといけないことがたくさんあった [ハンニバルに絡めて敢えて”彼の皿の上にはたくさんあった”という表現を選んでいます]。彼はその14分間で全てを見せないといけなかった。僕は13時間を持っている。だから、明らかに、それは違うものになるんだ。それにまた、僕たちは、彼が友情や人々への忠誠心を築けるということを信じられるようにしたかった。僕たちは彼に観客に向けてウインクさせることはできなかったし、彼のそのことを人々の前でさせることはできなかった、それは人々の背後でされなければならなかった。だから、僕たちは彼がプライベートの時間を手にするまで待たなければならなかった。それから、ゆっくり、ゆっくり、彼は、彼の周りの人たちに彼自身をもっともっと見せていく。

私は、あなたのテクニックと、どうやってあなたがしていることがなし得るのかを、推測し内側を知ろうとしていました。私は沈黙とあなたの関係について考えていました。というのも、あなたは、特に脅迫的な役を演じるときに、沈黙を多く使うように見えたので。人々はあなたを見てこう思うんです、「彼は何を考えているんだろう?」と。それに、私はあなたがバスター・キートンのファンであり、無声映画のファンでもあると知っています。あなたが沈黙をどう使うかについて、少し話を伺えるでしょうか?

僕は沈黙の大ファンだ。もし僕たちが同じことを言葉を使わずにできるのなら、ときにはその方が良いと思う。それはいつでも当てはまることではなくて、ときにはとても饒舌な登場人物がいることもあるだろう。それはまったく公平なことだ。でも、僕が言いたいのは、カメラが正しい場所にあれば、それは、見て興味をそそられる面白い物事を捉えるはずだと、僕は本当に思っているんだ。そして、二面性を作り、2つのことを一度に捉えることができる。口で言うことで何かを述べるなら、そこには二面性はない。でも、何も言わなければ、観客は想像し出すだろう、「彼は、彼がしていることを本当に信じているんだろうか、あるいは疑っているんだろうか?」と。それで、僕はそれが面白いと思っている。悪役にとっても、いいやつにとっても。カメラを登場人物に少し留まらせるのは面白い。

新作のインディ・ジョーンズでは、あなたは元ナチスの科学者を演じます——第二次世界大戦中のデンマークの歴史を知っていると、デンマーク人がナチスを演じるとは皮肉なことに思えます。あなたはその役を引き受けるのに戸惑いましたか?悪い奴をまた演じるのにうんざりしませんでしたか?

僕は全く問題なかった。それは歴史の一部だ。それに、忘れたらいけない、それはインディ・ジョーンズの映画で、これはインディ・ジョーンズの世界の一部でもあるんだ。そして、率直に言うと、僕の役、ユルゲン・フォラーは、ヒーローではない。だから、僕はその役に命を吹き込んで、できる限りインディの良い敵になるよう挑戦できるのが嬉しい。でも、そのゲームでインディが勝つようみんなで祈ろうじゃないか!

あなたはそれらの[インディの]映画のファンとして育ちましたか?それらはデンマークで共感されていましたか?

あぁ、それらは世界中で共感されているようだ。僕は最初の作品を兄と映画館で見たことをはっきりと覚えていて、それは確か…いや、僕たちは実際はレンタルできるDVDのやつでそれを家で見たんだった。それは僕たちをびっくりさせた。僕はあんなものを見たことがなかった。それはあんなに魅力的な映画で、最初の作品も、二つ目も、さらにその続きも。すごい物語の流れ、撮影方法、音楽の使い方、それは本当に素晴らしい職人技のローラーコースターだった。それに、僕の仲間の監督たちの多くが、それらの作品にインスパイアされ、それが理由で監督になりたかったということも、本当に知っている。だから、それ[インディシリーズ]は巨大なインパクトを持っていたんだ。本当に、僕はそれらとともに育ったと言えるよ。40年後とかになって、その世界の一部になれるなんて、まったくもって非現実なことだ!

その映画の撮影時に、予想していなかったことで驚いたことは何かありましたか?

色んなことがあった。そのスケールの物事が…種類の違う予算だった。セットに足を踏み入れると、そこは巨大な洞窟なんだ。僕たちが撮影していたロンドンには、巨大な洞窟はないって知ってるよね。普通は、みんなその一部を作って、そして残りの部分は緑背景で撮影するんだ[後で合成]。でも、インディ・ジョーンズ作品ではそれが当てはまらなかった。洞窟の全てが作られてたんだ!呆気に取られた。そのセットに足を踏み入れるとき、少しだけファンの少年になった気持ちも湧いた。でも、その気持ちは本当にすぐ消さないといけなかった。まさにそこに、そのセットに、デンマーク映画の2作分の予算がかかっているんだ!人々が細部にまで心血を注いで、あるべき姿にしようとしたところ[セット]で、自分が何かをしているんだ。現代のコンピューター化した物事は素晴らしくて、たった5年前よりもさらに良くなっているけれど、それはまだ本物ではなくて、インディ・ジョーンズ作品は物事を本物に見えるように拘っている。それは衝撃的で、そして美しいんだ!

ハリソン・フォードとの共演はいかがでしたか?

多分僕は驚きはしなかった。というのも、彼が何歳か知っていたから。僕が驚いたのは、彼がこのプロジェクトに対して持っているエネルギーの量だ。彼は素晴らしい人で、素晴らしい俳優だ。それでも、彼はその作品にとても献身的だ!僕たちは夜の撮影をして、朝の5時に終わった。僕たちはみんな完全にぐったりしていて、皆家に帰って眠りたかった。でも、ハリソンは自転車で50km走ろうとしたんだ!彼はエネルギーが余っていて、この世のものとは思えない人だった!


 

以上です。

沈黙で二面性を表現できる(カメラがきっと捉えてくれる)、とか、アメリカでは似たようなものをまた見たがる、とかの話が聞けるの珍しいし素敵ですね。インタビュアーさんの質問が本当にご自身でマッツに聞きたいと思われていることのようで、それがいい回答を引き出されたのかなと思います。

 

個人的には、英語をどう身に付けたかのくだりが分かりみが深かったです。

自分の分かる部分を頼りに、他の部分を「何言ってるんだろ、知りたい!」と何回も何回も何回も聞いて理解していくの、私もかなりしました(し今もマッツの動画とかでしています)。

「自分なりの足掛かりを見つける」もほんと共感します。人によって合う方法が違うので、みんな各自で探してもがくしかないです。よくもがく人ほど早く見つかる。。私は洋楽や海外ドラマのセリフとかに気持ちを乗せて真似するのが合っていました。

 

あと、マッツなんなのflabbergastingって。第二言語なのに語彙力異常よ。海外のファンがマッツのことをeloquentと言っていたのを思い出します。本当にな…。マッツは英語のペーパーバックをよく読んでいるようなので、そこからも学んで語彙力増やしているのかもしれません。凄まじい。