マッツと色々な演じた役との共通点(2012/3インタビュー)


久しぶりにマッツの過去のインタビュー(デンマーク語)の和訳をします。セクシーな写真も素敵ですが、マッツのいろんな一面が垣間見える長編インタビューもまた素晴らしい記事です。内容が濃すぎて一言で言えませんが、あの、本当に色々素敵なので読んで…!

今回のインタビューはデンマーク語を英語に翻訳してからの和訳なので、間違いが英日翻訳時よりも多いと思います。すみません。気になる部分はソースで原文をご確認ください。

いつものように和訳は直訳気味、[ ]は私の補足、固有名詞の和訳は適当です。私の和訳で知った情報をSNSなどで使う場合は必ずソースを明記してください。この記事仕上げるのにめっちゃ時間と手間がかかってるので…。


ソース: Ud og Se [デンマークの雑誌です。表紙や目次もマッツがいるので全体的に読んでみてくださいね。PDFでのDLも可能なのでぜひ!]

[雑誌表紙]
マッツ・ミケルセン「もしそれがただ恋愛についての作品だったなら、それは可愛らしすぎるし手を加えすぎている」

[雑誌3ページ目、目次部分]
極悪人と八方美人
麻薬密売人から戦士、そして理想主義者まで、マッツ・ミケルセンの幅広く様々な役の中には何かしら彼の一部があった。しかし恋愛作品だけは彼には何も響かなかった。つい最近までは。

[14ページ目]
[大文字部分] 非ロマンティスト
[右上] 骨を砕く古の戦士。パリの音楽の天才。父親にコンプレックスのある麻薬密売人。マッツ・ミケルセンは約16年のあいだ俳優であり続けてきた。彼は[様々な]時間と空間を旅してきた。彼は英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、そしてデンマーク語を話した。それでもなお、彼の[演じた]役一つ一つに彼の一部分がある、と彼は考えている。

[16ページ目]
[大文字部分] もし
[本文] マッツ・ミケルセンが第二次世界大戦中に生きていたなら、自由のための戦士になっていただろう。

「僕がそう言うのは簡単で気ままなことだけど、でも僕はそうなっていたと思うんだ。僕はそのとき何かをしていたと思う」とこの46歳の俳優は言う。大人がそのようなことを言うのは手にした水鉄砲で世界を救う途中の少年と同じだと知りながら。

「僕は多分、僕たちをすぐ討ち死にさせてしまうような悪いボスがいる小さなレジスタンスのグループに参加していただろう。でも僕には理想主義が理解できるんだ」

つまりマッツ・ミケルセンは、デンマークの戦争映画である『誰がため [Flammen & Citronen]』における彼の役、伝説的なレジスタンスの戦闘員であるシトロネンと完全に同じように感じている。

「いつだって僕の役には僕の中の何かがあるんだ。何かがなければならない。それは僕自身であってはならないけど、でも何か僕が理解できるものでなければならない。僕はアル・カポーネのようなギャングスターを演じて、彼のように歩いて話すことはできるけど、アル・カポーネの根元の部分を僕の中に見出せなければ、面白いものにはならない」

ミケルセンが映画で命を吹き込んだ全てのタイプの役に彼の一部があるとは、にわかには信じがたい。1996年にオーフス[Aarhus]の演劇学校を卒業してから、彼は他の役者がキャリアの中で演じることができる役の幅よりももっと幅広い役を演じてきたし、彼はドイツ語、フランス語、デンマーク語で主役を演じることができると証明してきた。『ジェームス・ボンド – カジノ・ロワイヤル』の極悪人ル・シッフルと『アダムズ・アップル』の浮世離れした司祭であるイヴァン、『ヴァルハラ・ライジング』の戦士One-Eye、そして『シャネル & ストラヴィンスキー』の作曲家イゴール・ストラヴィンスキーを、彼は同時に含んでいられるのだろうか?

それを試してみよう。以下では、僕たちはマッツ・ミケルセンに、彼の最も有名な役のうち5つについて彼が用いた彼の一部を教えてくれるようお願いした。僕たちはまず、彼の最初の役であるニコラス・ウィンディング・レフンの『プッシャー』(1996)と『プッシャー2』(2004)における麻薬密売人トニーから始めた。

 

麻薬密売人でお調子者のトニー

「トニー、彼にはたくさんの僕が入っている」とマッツ・ミケルセンはためらいなく答えた。

それは他の男性達なら注意深くなることだ。トニーは、人類の輝かしい一例といった男ではない。『プッシャー』での彼は、ある麻薬取引がめちゃくちゃになり深刻なトラブルに巻き込まれるKim Bodnia演じるFrankの最悪のバディであり、警察にもVesterbro[デンマークの街]の麻薬王にも狙われる。『プッシャー』での最後のトニーは裏切られたと思い怒り狂ったFrankに殴り倒されていたが、『プッシャー2』ではトニーは主役としてまた現れた。その作品での彼は、2人の売春婦といるときに男性機能に問題があるシーンから始まり、その後父親になり、彼のことを微塵も気にかけない父親との大きな取引をし、Amager[デンマークの街]のバス路線2で自身の息子と逃げる。

「トニーに見いだせることは、彼がお調子者だということだ」とトニーの背後にいる役者は説明する。

「そしてそのお調子者の遺伝子。僕はそれを完全に理解できるよ。それはちょっと言い過ぎに聞こえるかもしれないけど、でも僕は、人間はみんな全ての感情を理解できると思うし、何かしらの状況においてはみんな自分自身がお調子者になっているのを理解できると思う。僕が学校に通っていたとき、僕はクラスのピエロだった。敵対する子達の間を取りもとうとして、ずっとバカなことをし続けていられるような。僕は小学校ではなんでもとっても軽々とやってきた。高校でうまくいかなくなるまではね。高校では、宿題も女の子達もパーティもうまくいかなかった。そういえば、僕は学校に通っていた頃とても小さかったんだけど、多分僕の調子の良さは自分のサイズを補うためだったんだ。僕は、トニーの力の有り余っている遺伝子[ところ]も分かるよ。彼は自分の体の中に全然収まりきれないんだ。結局、トニーってとても、とても単純な人間なんだ。」

トニーはとてもとても単純な人間であるだけでなく、半ばレイシストのような物事やアナルセックスの気持ちよさや売春婦への嫌悪についても語るのが大好きだ。こういったこともミケルセン自身からのものなのだろうか?

「誰かを殺したいと思うほどの嫌悪というのは知らないけど、でも何かを嫌う感情の中に入ることはできるよ。もしある日強烈なナチスを演じないといけなくなったなら、僕は彼をただの邪悪な人間として見せるつもりはない。僕はきっと、何かに納得した人間としての彼と結びつかないといけない。それがどんなにグロテスクだろうとも。結局のところ、ナチスは普通は家族と社会的な輪を愛していた人たちで、でもある人々の集団に対して不条理な憎しみを持っていたんだ。だから、ユダヤ人への憎しみの代わりに、自分が持つことができる何か別のものへの憎しみを持たないといけない」

『プッシャー2』の主要な要素の一つは、トニーと、彼が常に喜ばせ続けようとしている彼の父親との関係性だ。彼は父親を嫌いながらも、同時に彼を幸せにしようとする。

「その父と息子の関係は、僕には理解できない。結局のところ、すべての子供達は両親から愛されるだろうし、両親たちを誇らしい気持ちにさせるだろうけど、トニーがするほどではない。多くの面白い登場人物にある特徴というのは、彼らがしていることについて彼ら自身なんにも気付いていないこと。誰かが問題を起こして視聴者が“おいおいおい、何やってるんだ?!”って叫びたくなるとき、それはいつだっていいドラマ。だけど僕自身にはまったくそれ[トニーのような父息子の関係]は当てはまらないよ」

マッツ・ミケルセンの2歳だけ年上の兄であるラースもまた、特にTVシリーズでの色々な役のおかげでデンマークの最も有名な俳優の1人となっており、ラースとマッツが俳優として熾烈な争いをしているという見方が広まっている。

「そうだろうね」と弟であるマッツは答える。

「それはちょうど、比較されないLaudrup兄弟[デンマークの有名なサッカー選手兄弟。ロシアコミコンでも触れていました]のようなものだ。彼らはいつもいっつも比較され続けている。Brianができない何をMichaelができるか?とか、その逆も。僕が『ジェームズ・ボンド』で悪役を手にしたとき、僕の兄はとても喜んでくれた。Berlingske新聞にはこんなことを書いた映画レビュワーがいた――彼一人じゃなかったけど――、その役はラースの方がもっと良く演じることができるだろうと。彼はジェームズ・ボンド映画で悪役として見たいデンマーク人俳優10人のリストを持っていて、僕の兄がそのリストのトップだった。もし誰かがそういうことを書いたら、人々は競争しているんだろうと憶測するんだよ」

今では、1970年代にコペンハーゲンのØsterbro辺りを大きな2人の十代の少年であるラースとマッツが歩いていて、2人のうちどちらがジェームズ・ボンド映画の悪役を手にするか賭けをしているのを想像するのは難しくない。

「それは全然そんな感じじゃなかったよ。今は、もしステージに立って演じたり歌ったりすることを夢みなかったら本当の若者じゃないような感じだけど、僕たちの世代ではそうではない。僕の兄はよく分からない理由でGøglerskolen[デンマークにあるエンターテインメントの学校]に流れ着いて、そこである少女と恋に落ちてはまった。同じように、彼はChristianshavnのキャバレーの俳優だったある人に出会って。それが彼に起きたことだ。土壌としては、僕たちにそのすべて[俳優の世界]を紹介してくれたのは僕たちの父だった。彼はいつも僕たちをNørrebrogadeで上映されていた映画『Hjerter Dame』に引っ張っていって、古いデンマーク映画を見せていた。そして彼はラジオ映画を教えてくれた。僕と僕の兄は『Mordets melodi』と『Stemmer der dræber』の会話すべてを覚えていて、今でも会ってお腹いっぱい[vi er fulde]のときは互いにそれを披露するんだ」

[左下caption]マッツ・ミケルセンは演技で6つの基本的な感情を見せる: 頑固さ、多動性[hyperaktivitet]、愉快さ、憎しみ、情熱、そして理想主義。

 

精肉屋で嘘つきのSvend Sved

マッツ・ミケルセンの別の有名な役どころは、2004年のブラックコメディである『フレッシュ・デリ[De Grønne Slagtere; The Green Butchers]』のSvend Svedだ。その作品では、ミケルセンは後退しているとてもセクシーな生え際で友人のBjarneと精肉店を開くSvendを演じている。あるとき、彼らは店の冷却室に意図せず閉じ込められた電気技師を含有するソーセージで成功を収めてしまう。

「僕は自分がSvend Svedだとは一切思わないけど、スヴェンと彼の不公平さは理解できる。プレッシャーがかかると、彼は汗をかきはじめて嘘をつきだす。そしてそれが何の効果もないとき、彼は泣いて子供時代のことを語り出す。彼は自分が嘘をついていると知っているけど、それが嘘ではないと自分自身をほとんど説得している。彼は自分が正しいという鉄のような信念を持っていて、限度を越えても揺るがない理不尽な鉄の頑固さ[stålsathed]を持っている。それ[頑固さ]は僕にも簡単に見いだせる。例えば、僕が友人たちと腰を据えて議論しているとき、僕が何かを言い過ぎてしまって、撤回するには遅すぎるとき。ときには、僕は自分が本当に正しいを思っていることなのに腰を据えて議論したりする。それに反証があるかを知りたくて。そんなとき、僕は一緒にいるのが面倒臭い奴になってるかもしれない。“マッツ、本当にそういう意味で言ってるの?” “あぁ少なくとも僕はそういうつもりで言ってる”と。具体的な例は言えないけど、でも僕の友人たちはきっとたくさんの例を知ってるよ」

[中抜き] すべての映画の情報サイトであるimdb.comによると、マッツ・ミケルセンは「マス・メグゥルスン[Mass Meguelsnn]」と発音する。

[左上見出し] 僕は誰かを殺したいと思うほどの嫌悪は知らないけれど、何かを嫌う感情の中に入り込むことはできる。

[中抜き] マッツ・ミケルセンは、オーフス演劇学校[Aarhus Teater]で俳優としての教育を受けるまでは、9年間バレエダンサーだった。

 

無言の古代の戦士であるOne-Eye

『King Arthur』と『ジェームズ・ボンド – カジノ・ロワイヤル』での国際的な成功の後、マッツは『プッシャー』で初めての役を与え『ブリーダー』『プッシャー2』でも彼を採用した監督であるニコラス・ウィンディング・レフンのもとに戻った。今回マッツ・ミケルセンはVesterbroで麻薬密売人を演じるのではなく、彼のキャリアにおいておそらく最も残虐な[syrede; acidic]役である戦士、One-Eyeを演じる。彼は、サイケデリックな海賊映画『ヴァルハラ・ライジング』で敵の手足や頭蓋骨を次から次へと割る。その映画は様々なレビュー受け、動員数では成功を収めなかった。マッツ・ミケルセンによると、その作品が映画史の中で最も酷い作品だと考える者も多数いたという。その映画を観た者のなかに、アメリカのスターであるライアン・ゴズリングもいた。彼は、その詳細に描かれた暴力的なシーンで流れ出す内臓を目にして観客が顔を顰めるのに気付き、それでニコラス・ウィンディング・レフンと仕事をしたいと決めたという。その結果が、昨年最も話題となった映画の1つである『Drive』である。それは米国でも話題となった。

「僕は自分の役すべてと何かしら共通するものを持ってると今言ったから、何か思い付かないといけないな…」とミケルセンは呟いた。

「One-Eyeについてはちょっと難しい。だって僕たちは一人の人間を取り扱ってたんじゃないから。それは僕が演じたなかで一番オープン[解釈自由]な役だ。彼は、観客が何でも望むものを投影できる存在。彼は、伝達者でも神でも悪魔でもありうるし、あるいは殺すことしかできない生き延びた動物でもありうる。彼は怒ることも、悲しむことも、喜ぶこともない。だから僕は人間から何かを取りだすことはできなくて、動物からだけ取りだした。僕はゴリラを想像したよ。彼らは人々にこんな風に考えさせることができる: “えっ、なんて頭良さそうに見えるの、座って何か考えているように見える”って」

 

情熱的な天才であるストラヴィンスキー

『ヴァルハラ・ライジング』でOne-Eyeとして登場してすぐ、マッツ・ミケルセンは全く反対の役で現れた。それは、『Le Sacre du printemps [The Rite of Spring; 春の祭典]』で音楽界全体を震撼させた、音楽界の天才であるIgor Stravinskyである。そのバレエは、1913年のパリでのプレミアにて音楽史における大きな物議[スキャンダル; skandaler]の一つを生み出した。その物議の理由は主に、その意図的に原始的なダンスのためであった。そのダンスの様子は、『シャネル&ストラヴィンスキー』にて監督のJan Kounenが仔細まで再現している。その物議ののち、ストラヴィンスキーはモードの主であるココ・シャネルとの関係を始める。それはロマンティックな関係でも直接的なセクシャルなものでもなく、互いの世界において才能を持つ2人の、相互的な魅了といった類のものであった。

「ストラヴィンスキーの情熱は簡単に[マッツ自身に]見いだすことができるよ。人間としての彼は、とても打ち解けにくく非情熱的だった。彼は感情を問題にしたことはなかった[和訳違うかも。原文: Han diskuterede aldrig følelser]。そして、彼は音楽を作っているときは完全にクレイジーになっていた。僕は今僕がやっていることにとても情熱を持っていて、撮影するとなったらじっとしていられない。そこ[撮影現場]はみんなが“最高に楽しくなるぞ”と口々に言うような夏のパーティの雰囲気なんだ。それはいつだって世界一の映画なんだ!もしその情熱がそこにないと感じたら、僕は激怒するだろう。その情熱をストラヴィンスキーは持っていた。そうでないと彼は作れなかったんだ。私生活に何の情熱も持っていない部分は、僕には理解できないよ」

事実、マッツ・ミケルセンは、『シャネル&ストラヴィンスキー』の撮影に向かうときにこう言った。「今度は彼[マッツ自身]は、南に下って、一杯のコーヒーを飲んで、パリの太陽を楽しむ」。

「それは僕たちが『ヴァルハラ・ライジング』を作り終えたばかりだったから。結局のところ、健康保険証に1965年と書かれているような人間にとって、スタントの人間ですら参加したがらないようなスタントを始めるのはあまりに遅すぎたから。それは単純にとても危険だったんだ。それは痛かったよ。特に僕が棒に繋がれて座っていたところでの泥沼の戦いは。僕が空中にジャンプする[jeg sprang op i luften]度に、僕は頭や肘を岩にぶつけてしまって、血が吹き出ていた。それから僕は同じことをして、また肘の同じ場所をぶつけて、血がまた吹き出すんだ。そして次は膝。スタントマンたちはそこにいたがらなかった。それに、スコットランドの自然の中は寒かった。だから僕は、南の暖かい場所に下って、いくつかの会話をして、多分半分くらい恋に落ちて、音楽をいくつか奏でることを楽しみにしていたんだ。それは困難な仕事になるであろうことは知っていたし、ロシア語とフランス語を学ばないといけなくて、僕はピアノを弾けないというのにストラヴィンスキーをピアノで弾かないといけないことも知っていた。けど、撮影は急に始まったんだ。それは僕の下にある絨毯を引き摺り下ろされたようなものだった。それは大変な一年だった。それは僕が『Die Tür [ザ・ドア]』を撮影するちょうど前の話。その作品では、僕はずっとドイツ語を話さないといけなかったから、ドイツ語を学ばないといけなかった。その[それらを撮影した]後にはもう僕にはほとんど何も残ってなかったよ。今までのところ、それは俳優として最も大変だった時期だ。」

その話は、なぜマッツ・ミケルセンが俳優がよくかかってしまう呪いに一度もかからないのかという哲学に繋がる[意訳; Det giver anledning til at filosofere over…]。その呪いというのは、タイプキャスティング、すなわち俳優が似たようなタイプの役をなんどもなんどもオファーされてしまい変わることができないというものだ。

「何かしらの理由で、人々はいつも”これにマッツがいたら面白いだろう”という風に考えるんだ。僕はジェームズ・ボンドでル・シッフルの役を得たけど、それはプロデューサーであるBarbara Broccoliが『Open Hearts [Elsker dig for evigt]』が大好きだったからなんだ。その作品では僕は全く違う役を演じていたんだけどね。そんな風に、僕はずっと恵まれていた」

 

理想主義者で愛人であるストールエンセ

マッツ・ミケルセンが振り返らないといけない最後の役は、Johann Friedrich Struenseeである。彼は実は北ドイツの医者であったが、あるときデンマークの王クリスチャン7世の治療のため雇われた。おそらく統合失調症と思われる病状に苦しんでいた王は、欧州旅行中にストールエンセを医者として雇い、彼を大変気に入りデンマークに連れ帰った。その国でストールエンセは、その「クレイジーな」王から実質的な力を奪っていた貴族や教会と直接的に対立することとなるが、ストールエンセが手にしたのは1770年から1772年の間のデンマークでの実質的な支配者の立場だけでなく、Caroline Mathildes女王の心と彼女との子供だった。

同時に、ストールエンセは多くの法律を中世デンマークに持ち込み、啓蒙時代に足を踏み入れていた他の欧州各国と同じレベルまでその国を引き上げた。例えば、ストールエンセは検閲を廃止し、孤児院を設立した。それは非常に他者共感的なものだったが、保守的なデンマークにとってはまた大胆すぎるものでもあり、デンマークは彼を排斥し人々の前で打ち首にしたのち、恐怖と警告を与えるためにその死体を車輪に縛り付けFælledparken[デンマークの公園]まで引きずった。この政治的な陰謀と嵐のようなロマンス、生と死に満ち溢れた濃密な三角関係のドラマは、Nicholas Arcel監督が映画『ロイヤル・アフェア』で鮮明に描いている。

「この理想主義者の部分は僕に見いだすのは簡単だよ」とマッツ・ミケルセンはすぐさま答えた。

「僕は、人生におけるたくさんの物事について理想主義者なんだ。誰かが何かを変えるために死に向かうのは簡単に想像できる。最初は、ストールエンセは何かを変える計画なんて持っていなかった。彼はただ社会の梯子を登りだしていて、そして急に色んなドアが開いたんだ。彼は王クリスチャンがどのように操られているかを知って、そして彼らの中で対立する意見があることに気付くと、そこにいくつかの意見を放り込むのは彼にとって容易かった。それは何も悪いことではない。彼は王を助けることができ、デンマークを当時陥っていた暗闇から助け出すことができた。そして、善悪に関わらずデマゴーグや独裁者につきもののように、物事は間違った方向に進んだ。彼は、かつてその王を取り囲んでいた影で操る人間[mørkemænd; dark men; “悲観的な人間”という意味が辞書的には正解ですがここはおそらくこっち]と全く同じように振舞っていた」

理想主義者のマッツ・ミケルセンについて聞いてみましょう…

「僕は、エゴが巨大でなんでもコントロールできると考えている、豚のように走り回って他人の命をリスクに晒す人たちに対して理想主義者だよ。僕は高速道路の真っ只中でブレーキをかけて、外に飛び出してそいつを掴む。僕は他の点でも理想主義者だけど、この話は何かがかなり間違っていたり愚かしい時に僕の心にすぐ起きることの例でね。僕は愚かしさが大嫌いなんだ。別の文脈では僕は実行できないような理想を持っているけど、この文脈では僕はとてもラジカルなんだ」

ということは、土曜の朝にLyngby高速道路[Lyngbymotorvejen]を走っていたら、そこに立っていて黒のBMWの中の男を叱りつけているマッツ・ミケルセンを見ることができるんですか?

「簡単にできるよ。僕の子供達もまたそれにうんざりしてる。”パーーパーーー…”って。でも、そういったことをするのが一匹の豚だけだったならまだいいんだ。例えば、僕の妊娠してる妻を轢きそうになったのが一匹だけならね。僕たちはØsterbroで横断歩道を渡ってたんだけど、横断歩道の真ん中に来たときに一台の車が近付いてきたんだ。そして停まろうとしなかった。だから僕たちは道の真ん中で立ち止まったんだけど、他の車も僕たちのために停まろうとはしなかった。クレイジーだよ!そして、僕たちの後ろから体格のいい男性が来てたんだけど、僕たちを追い越すまで2mくらい、僕たちから数cmのところで、クラクションを鳴らされてしまって。誰も僕たちのために停まろうとしないから、そのうち一人[体格のいい男性]の自然な反応は後ずさりしてバン!僕たちにぶつかってきたんだ」

「次の交差点まで数百mあって、その信号が赤になるのが見えた。だから僕は飛び出して、道の真ん中を車を避けながら進んで、そいつを掴み上げた。もちろんそいつは18歳の少年で、父親の車を借りて友達と一緒にいた。僕はそいつを車から引きずり出して、でもそのとき考えたんだ。”何が一番きつい罰だろう?”って。そして僕はその車を3回蹴りつけて、大きな凹みができた。家に帰って父親に理由を説明だ。その少年が後になってこのことを考えてくれることを願うよ。彼は人の命を奪ってもおかしくなかったんだ。今では僕は多分そういうことはしないけど、何かはするだろう。だってそれが僕だから。でももうあんなにたくさんは車を蹴らない。だって今やみんな僕が誰か知ってるからね。多分彼らは映画の中にいるように思うかもしれないな」

それが、マッツ・ミケルセンが啓蒙時代の男ストールエンセに持ち込んだ理想主義者の部分だ。しかし、そのドイツ人医者の役に含まれるのは理想主義だけではない。マッツ・ミケルセンはデンマークの最も有名な俳優の一人であり、女性の膝をゼリーに変えてしまう彼の能力はよく知られているが、ロマンティックな役はほんのわずかしか演じていない。しかし、今やミケルセンは初めて、大きなローブを身に纏った女性と小川のそばに座り日傘を手にする映画に登場する。

「僕は恋愛のことしか思い出せないような映画に出たいと思ったことはない。ただの怪獣映画でしかない怪獣映画に出たいと思わないのと全く同じで。そこには何かしら別のものがあるべきなんだ。もしその作品が恋愛についてのみの作品だったなら、可愛らしすぎて手を加えすぎのものになるだろう。僕は実のところ『ロイヤル・アフェア』は歴史映画と捉えていたし、僕たちはみんなそれがこんなにロマンティックになったことに驚いたんだ。女性たちは大きな帽子を被っていて、僕たちは小川のそばに座っていて、そして突然孔雀が出てくる。僕はそういったものは嫌悪するだろうと思ってたんだけど、でも実のところそれはクールだったよ」

[写真キャプション] 2011年12月、欧州のアカデミー賞に相当するEuropean Film Awardsにて、マッツ・ミケルセンは彼の今までの経歴に対して名誉賞[honorary award]を受賞した。



和訳は以上です。マッツの色んな面がまた見れて素敵なインタビューですよね!濃すぎて多分最初に読んだこと忘れてると思うのでまたぜひ読み直してください。


個人的な感想は以下の通り。今回翻訳が長丁場だったので和訳しながら箇条書きで書いてます。
・お調子者だったマッツなんとなく想像ついて可愛いですね…可愛い…
・トニーの性癖のくだり、インタビュアーさんの質問に噴きました😂多分これ付き合いの長い母国メディアじゃないと聞けないですね…😂
・ナチスを演じるなら…のくだり、ゲイレンを演じたときの帝国軍に対してインタビューで語っていたこととそっくりで、この考えのブレなさ、一貫性がまた素敵だなと改めて思いました。
・お兄さんと会って食後にリサイタルする兄弟尊い…
・頑固さの例の部分を見て、マッツが自分でもたまに言う「頑固さ」の意味が少し分かった気がしました😌笑
・子供達に「パーーパーーーー」とうんざりされるマッツ😂
・奥様とお腹の中の赤ちゃんのために怒れるマッツ尊すぎる🙏

マッツに「頑固」と「可愛い」が共存するのって、「まっすぐ」という共通点があるからかもですね。。ほんとマッツは素敵です。