マッツの”Arctic”インタビュー第二弾(2017/5/22の記事)


マッツの”Arctic”のインタビュー第二弾和訳するよー!今回はVarietyの記事。
他に2つあるけど、それは短いから気が向いたら訳します。


いつものように[ ]は私の補足や感想、映画タイトルの翻訳は適当です。()は記事中にあった括弧。
そういえばArcticって雑誌SCREENに邦題が載ってたんだけど、あれは勝手に訳したのか日本公開が決まったのか…?


Source: http://variety.com/2017/film/global/mads-mikkelsen-polar-wilderness-arctic-1202439557/

マッツ・ミケルセン、”Arctic”にて北極の荒野を生き延びることについて

『ハンニバル』と『カジノ・ロワイヤル』で悪役を演じたことでよく知られているデンマークの俳優マッツ・ミケルセンは、Joe Pennaの『Arctic』でさらに繊細な[nuanced]役を得た。PennaとRyan Morrisonが脚本を書きXYZ Filmsによってカンヌで売り出されたそのサバイバル・スリラー作品において、ミケルセンは悲劇的な事故の後に北極の荒野で行き詰まる男を演じている。Armory FilmsとUnion Editorialによって作られたその映画について、ミケルセンはVarietyに語った。

Variety[以下V]: 『Arctic』におけるあなたの役はどんなものですか?
マッツ: 彼は君であり僕である。彼はみんなである。北極にかなり長く一人でいる彼に、時間が厳しい試練を与える[やや意訳]。彼は過去といえるものを持っていない。人は彼についてさほど知ることはできない – 彼には家族がいるのか、とか。僕たちは、彼が、この酷い状況に囚われたどんな人でもあり得るようでいて欲しかった。

V: その役のどこに惹かれましたか?
マッツ: 僕は過去にいくつかそういった話を読んだことあったんだけど、それらはいつだってフラッシュバック、過去思い出話、それにちょっとしたロマンスの話になってしまっていた。僕にとっては、本質的にかなり美しく過激な物語に対してそういったものはいつだって邪魔だった。その物語には感情をさらに追加する必要なんてない。ページをめくるたびに僕は「あぁ、どうかそれは起きないでくれよ」と思っていて、そしてそれが起きなかったんだ。それはまるで、(脚本家達が)それを執筆中に観客が何を望むかではなく、その役に視点を合わせているかのように感じられた。

V: その映画では、風景はどんな役割を演じましたか?
マッツ: それは色んな意味で主役だよ。それは変えることのできない物だ。僕はその風景になんの影響を与えることもできない、けどそれは莫大な影響を僕に与える。僕はその世界[universe]の真ん中ではちっぽけな人間だ。

V: その風景は厳しい環境でしたか?あるいはあなたの役はそれに合っていましたか?
マッツ: 両方だな。僕たちが[映画で]彼に出会うとき、彼は[既に]しばらくの間そこにいて、それ[環境]は友好的なようなものだが、彼は包囲下にいるようなものだ。彼は心地よく麻痺している[comfortably numb*]と言えるだろう。彼は、今どこにいて何故そこにいるのかということと折り合いをつけるに至っていて、それが終わるのを待ってるんだ。いくつかの点でその映画は問いかけるんだ「生き延びることができるけれど、それは生きていると言えるのだろうか?」って。他の人がその映画に出てきたとき、”生きていること”の考え全てがかなり存在感を増す[becomes very present]。
*Comfortably Numbはマッツが若い頃聴いていたというPink Floydの曲名。その件に触れたインタビューも和訳してるのでどうぞTwitterで私が「Pink Floyd聴かなきゃ」って言ってたのはこれ読んでです。

V: 撮影は困難でしたか?
マッツ: それは僕が今までにした中で群を抜いてとても困難な撮影だった。僕は人生の中でたくさんのクレイジーなことをやってきたから、これは本当に困難だったということだよ[若干意訳]。自然、風、雪、そして寒さがあって、僕たちは長時間撮影をしていて、そして僕は全てのシーンにいた。それは暴力的だった。物理的にだけでなく、精神的にも。僕は常に精神的にギリギリだった。それはかなり消耗する撮影だった。


マッツお疲れ様です…!