ひどいインタビューとそれに触れたインタビューとArcticのネタバレだけどいい話(2019/5)


先日@MadsMikkelsenJPアカウントにてRTのみしてファボりも和訳もしなかったマッツの新しいインタビューがありました。実はそのインタビューの内容、色んな意味でひどかったのです。個人アカウントで数日荒ぶってました。。その後、その酷いインタビューに触れたまともなインタビューが出たので、それを機にここにまとめます。
この記事、日本人でArctic関連でマッツにインタビューする方の目に留まればいいなとも思ってます。日本のメディアがこんなことしませんように。。

そのひどい記事というのはUKのGuardianによるもの。どのようにひどいかは最後まで和訳を読んでご自身で判断されてください。そして、それに触れたまともなインタビューというのは同じくUKのIndependentによるもの。どちらもUKの大手新聞社です(Independentはオンラインのみになったけど)。それだけここで和訳すると胸糞なだけなので、Independentの方でマッツが素敵な言葉で語ってる部分も和訳します(Arcticのネタバレ部分は太字でネタバレ注意と書いてます)。

さて。和訳します。和訳はいつものように直訳気味、固有名詞の和訳は適当、[ ]は私の補足、()は元記事にある補足です。この記事で知った内容を使う場合は必ずソースを明記してください。


(1) Guardian culture
ひどいインタビューの方。該当部分のみ。意図的に悪く見えるような抜粋はしていません。
Souce: https://www.theguardian.com/film/2019/apr/25/mads-mikkelsen-one-word-wrong-and-youre-a-dead-person

マッツ・ミケルセン: 「一つ言葉を間違える。すると終わりになる」
インタビュアー: Gwilym Mumford

ハンニバル、偽りなき者、そして新作Arcticの主演は、#MeTooの勢いの中ではフランクな会話が可能ではないのではと疑う。しかし、彼は本当に気候変動についても懐疑的なのだろうか?

[Dogma 95、悪役を演じることの話ののち、Arcticについて概要説明]
… ミケルセンのスーパーファンにとっては、つまりTwitterで彼にできの悪い彼のスケッチを送りつけるような人[実際に貼られているリンクです]にとっては、その作品は純粋なマッツポルノだ: 彼はすべてのシーンで目の前、中央にいて、わずかにしかない会話のすべてのセリフを担っている。しかし、その男自身にとっては、Arcticは試練未満[以外]の何物でもなかった。…

[マッツが撮影の大変さを述べる]

… 自然は我々を気にしていないかもしれないが、気温上昇についての破滅の運命を背負ったすべての報告書とともに、我々はもっと自然について注意を払っていかなければならないという気運が高まっている。事実、この作品の奇妙にも胸を打つ点の一つは、ミケルセンが歩いてゆかざるを得なかった、その輝く近寄りがたい景色が、あまり長くそこにはないのかもしれないという感覚だ。それでも、これを彼に話したとき、彼はArcticが「政治的な映画」ではないと強調するのに熱心だっただけでなく、気候変動ムーブメントすべてについてもはっきりしない[uncertain]ようだった。

「僕たちは気候変動映画を作ってるんじゃない。僕たちはヒューマニティ[人間性]についての映画を作っているんだ」と彼は言った。「そうだね、気候は変動している。でもそのうちどのくらいに僕たちが関わっていて、どのくらいに関わってなくて、それについて何をするかが大きな問題だ。僕が言いたいのは、科学が分裂しているということ。今はそうじゃないように見えるけど、でもそれは分裂してるんだ」。

この主張は、事実疑わしいだけでなくーー97%の科学者が気候変動が人為的なものであると信じているーーちょっとした驚きでもあった。2010年にミケルセンは、環境変動について人々が政府に圧力を掛けるよう呼びかける動画[元記事にあるリンク]に現れた。その動画は、巨大なメガホンでこう叫ぶ彼で終わっている:「君の声を聞かせろ」。これが10年前であり、また、今その状況がかなり酷く[drastic]なっていることを考えると、人は[今の]彼がExtinction Rebellion[環境保護などを訴えるムーブメント(Wiki)]とともに彼の背中を地下鉄に接着している[地下鉄の屋根に登った人がいたのを踏まえての言い方]のでは、と半ば期待するだろう。彼はー(ハッと息を飲む)ー懐疑的になったのか?

「僕は懐疑的ではないよ、それが変わっていっているとは思うという意味では」と彼は言った。「でも、僕はそれがいつも変わり続けてきたという一つの事実もまた知ってる。そこには[互いに]違うことを示す[互いに]違うグラフがある。僕たちは共通認識を見つけて、僕たちに何ができるか、何が最もスマートに取り組めることかを見つけ出さないといけない」。(一つの解決策は、核エネルギーへの投資だと彼は言った。「でも誰もそれについて話したいとは思わない」と)

ミケルセンと話していると、率直に話したいという欲求とそれが引き起こしうる物議に対する懸念との間での緊張感に気付く。多くのDogma作品や『偽りなき者』にも関わっているデンマークのスタジオであるZentropaのヘッドに対する性的犯罪の訴えを議論したあと、僕たちはより広い、映画界におけるセクシャルハラスメントに対する#MeTooムーブメントに触れた。彼は熱心に「そこ[映画界]には明らかにとても、とても気掛かりな[disturbing]文化があった。そして、神よありがとう、それが解決されていっている」と述べた。しかし、彼はまた「そこに行くのは[それに話題を持っていくのは]気が進まない」とも言った。彼は口が滑ることを心配しているのだろうか?

「口が滑るんじゃない--僕が言ってるのは、言葉ひとつ間違えると、それで人はお終いになるということ」と彼は言った。そして、2017年に性的虐待の訴えが「スペクトル状の行動[spectrum of behaviour;真実そうであるものから疑わしいものまであるかなり幅広いもの、という中立的な意味]」として扱われるべきであると示唆して「激怒の文化[culture of outrage]」を嘆いたため批判されたマット・デイモンの運命について触れた。ミケルセンにとっては、デイモンは「歴史上最もポリティカリーコレクトな人間だ。彼は共通認識があるとあることについて発言し、ズタボロにされた。だからこれはもう健康的な[healthy]議論じゃないんだ」。

何をいうかになるとミケルセンはとても注意深くなるが、何をするかについてとなるとそうでもないのは、少し奇妙に思える。[以下、ヴァルハラ・ライジングやArcticでの体を張った仕事について]

(2) Independent
上記インタビューについても触れた良インタビュー。こちらも主要部分のみ。あと、最後の方のArcticについてのネタバレだけど素敵な部分も清涼剤として和訳してます。
Souce: https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/features/mads-mikkelsen-interview-arctic-casino-royale-doctor-strange-a8907756.html

マッツ・ミケルセン インタビュー: 「僕はかなりの時間を独りで過ごした。僕は気が狂いかけていた」

そのデンマーク人の俳優はAlexandra Pollard[インタビュアーさん]に、彼の新しい映画である『Arctic』の過酷な撮影−−半調教されたホッキョクグマとの仕事を含む−−と、なぜ彼が、話を逸らせる[veering]伝えたいことから離れた話題[off-message]という「トラップ」に陥るつもりがないのかについて語った。

「いろんな意味で、それは僕が今までにやった中で一番肉体的[物理的]なことだった」と、マッツ・ミケルセンは雪の荒野で遭難した男の壮絶な物語である彼の新しい映画『Arctic』について語った。「今までの中でだよ」。

それは大きな主張だ。特にミケルセン[の口]から出ると。[マッツの経歴の説明] しかし今日は、彼はそれら[過去作品]のどれかについて話したくはない。彼は『Arctic』について話すためにここにいる。『Arctic』についてだけ話すために。

事実、ミケルセンは『Arctic』付近の領域にすら踏み込みたいとは思わない。私は最近のインタビューに触れた。そのインタビューでは、その映画の過酷な[stark]生存者の物語に気候変動についてのメッセージが含まれているという意見が彼にぶつけられた。「それはその映画が語りたいことじゃない。それは僕たちがその映画を作った理由じゃない」と彼は言った。「それは生き残ることと生きていることの違いについての映画なんだ。それはヒューマニティについての映画だ」。彼は、現在の環境では−−文字通りの意味でもポリティカリーな意味でも−−人々は別にそこにある必要のないアレゴリー[物語の裏の意味]をより見出すようになっていると感じているだろうか?「僕は君が何について言ってるかきちんと分かってるよ。それはガーディアンだ」と彼は言った。「もちろん、あのライターは彼が作りたいとように作り上げるのを選んだ。だから僕はその間違いを二度は犯さない。僕はこの映画について語っている。それだけだ」。では、彼は映画以外については何についても話したくないのだろうか?「話したくない。だっていつだってそれがインタビューでのメインメッセージになってしまうから。僕はそのトラップには踏み入らない」。

私には、なぜミケルセンがそんなに注意深いのか理解できる−−あのインタビューには確かに議論を引き起こす発言が含まれていた−−ただ、私には彼がどう「トラップ」にかかったというのか理解しづらいけれど。結局のところ、確かに誰も彼にこう言うように強いてはいなかった:「そうだね、気候は変動している。でもそのうちどのくらいが僕たちが関わっていて、どのくらいが関わってなくて、それについて何をするかが大きな問題だ。僕が言いたいのは、科学が分裂しているということ。今はそうじゃないように見えるけど、でもそれは分裂してるんだ」。彼は話を続け、核エネルギーがあり得る解決策だと示唆し、「でも誰もそれについて話したいとは思わない」と言った。そのインタビュアーが#MeTooを持ち出した時、ミケルセンは「そこに行くのは[そこに話題を持っていくのは]気が進まない」と言った。2017年のマット・デイモンのインタビュー−−彼はそこで、性的に誤った行いの訴えは「スペクトル状の行動」として扱われるべきだと提案した−−に対する反響を「これはもう健康的な[healthy]議論じゃない」証拠として触れながら。

彼は引用間違いされたように感じているのだろうか?「基本的に、僕が彼に言おうとしていたことは、世界で何か衝突[conflict]があるとき、それはいつだってあるものだし今も絶対にあるけど、問題はその2つの側のコミュニケーション不足なんだ。本当のコミュニケーション不足。そして誰もその会話も、そのコミュニケーションも、持つことに本気では関心を持っていないように見える。その話題について僕が言わないといけないのはそれで全部だ」。私は、彼が今言ったことに含まれるマイルドな皮肉をさっと流した。

私は彼に、ハリウッドにおける多様性の進展についての彼の考えを尋ねたかった。その点[多様性の点]での歴史的な欠乏と立ち向かわなければならなかった3つの大手フランチャイズ−−ボンド、スターウォーズ、そしてマーベル−−に彼が関わっていたから。「僕はそれについて言うことは大量にある」と彼は言った。「でもこのインタビューでではないよ。僕は、僕が非常に誇りに思っている映画を売り込もうとしていて、そして僕は知ってるんだ、その話題にしがみついていないとそれは埋もれて[drown]しまうって」。

[以下、Arcticについてのインタビューの一部です。がまだネタバレはないです]
Thelma[Arctic共演女優さん]が彼女の撮影初日に現れたとき、ミケルセンは喜びに満ちた。「彼女が来たのはセットで一番嬉しかった日だった」と彼は言った。「その時点で僕はかなりたくさんの時間を独りで過ごしていた。僕は気が狂いかけていた。話しかけたり意見を交し合える俳優がいるというのは、天国からの贈り物でしかなかった。そして明らかにその役の彼自身にとっても、それは彼の人生で最高の日だったんだ。起きたことは災害だったけれども、それはまた巨大な[gigantic]贈り物でもあったんだ。」

私たち[観客]が最初にその女性(私たちは彼女の名前をちゃんと知ることは結局ない)を見たとき、私はその映画がロマンスになっていくのかと少しだけ心配した。「脚本を読みながら、僕も全く同じ感情を持ったよ」とミケルセンはくすくす笑った。話題に戻ったことで初めて陽気に[newly convivial]、明らかに幸せになって。「彼女が現れて、僕は『うっ、あー、さぁどうなるか!』という感じだった。僕はそれ[ロマンス]が起きなかったことがとても嬉しかった。もし彼らがそこで10年間過ごしていたなら、もしかしたら違う方向に進んだかもしれないけど、それはこの作品の状況じゃないんだ。それ[ロマンス]は絶対に、人がこういったシチュエーションにいるときに、心に最初に浮かぶことじゃないんだ。だから、うん、僕は君と同じように喜んだよ」。

[ネタバレ来ます]
ただ、彼らの間の親密な瞬間は、ある。ある時点では、Overgårdは意識のない女性を彼のヘリコプターの中の当座しのぎのベッドに寝かすが、彼は厳密に必要な時間よりも少しだけ長く、彼女を抱きかかえていた。「それはその作品での僕の好きな瞬間のうちの一つだ」とミケルセンは言った。「それは、実際その状況からただ出てきたんだ[自然とそうなった]。僕は彼女をあのベッドに寝かせようとしていて、そして僕は気付いたんだ。彼はそうするだろうと…彼はこの親密さにずっと飢えていた、ここにはとても長いあいだ他の人間はいなかった、だから彼はただそれをした。それはとても美しい。僕たちがその映画を公開する前から…その瞬間についてコメントをする人たちが何人かいた。この時代では、それは誤解されるかもしれないと(示唆した)。でも僕たちはそんなこと考えたこともなかった。僕たちはただそれがそんなに美しい瞬間だとだけ考えていた」。

ミケルセンがこの映画についてだけ語りたいのは、彼の指が凍傷を負ったからだけではない。彼はその作品に明らかに喜んでいる−−特に、その作品が最小限の会話でもって、どのように人間性の核心[very essence]と私たちの人との繋がりへの欲求[need]を伝えたかについて[喜んでいる]。「タンゴを踊るのには2人要る。人になるには2人要るんだ」と彼は言う。「自分だけで人間でいるのは、とても、とても難しい。それが僕たちが語りたかった物語なんだ。色んな意味で、彼女は彼を救っている人なんだ」


当時の私の紹介。

私はこれが起きるまでは両誌とも結構好きで長年オンラインで読んでいたのですが、Guardianの株急降下してます。Guardianに心底ムカついたのは、Guardianの環境担当のライターかエディターがあの記事を引用して「Ouch(あいたた)」と呟いていたこと。今は消されているようですが。スクショ取ってればよかった。

私リケジョなのでもう人一倍ツッコミどころあるのですが、あのインタビュアーさんのような「専門じゃない人の発言の揚げ足を取る」低俗さは持ち合わせていないし、時間ももったいないし気分も良くならないので書きません。

Independent誌のインタビューの最後の方でマッツが嬉しそうだったのが、本当に救われる気がしました。日本でも早く『Arctic』観たいですね。2019年冬に新宿バルト9他で全国公開予定です!