ストックホルムコミコンでのインタビュー(Sep 2018)


2018/9/14~15にマッツはコミコンス・トックホルムに参加しましたが、そのときのインタビューが今日upされました。ざっと読んだところ内容が濃厚で素敵✨でしたので和訳します。

(Twitterで言ってましたが2週間くらい副鼻腔炎でダウンしてたので色々遅れててすみません。動画の方もやっと取り掛かろうとしてるところです。)

さて和訳。いつものように和訳は直訳気味、[ ]は私の補足、固有名詞の和訳は適当です。この和訳で知った情報を使う場合は必ずソースを明記(この記事へのリンクを表示)してください。


Source: https://www.filmtopp.se/2018/10/02/exclusive-interview-with-mads-mikkelsen/ [マッツの画像もたくさんあるのでぜひサイト訪問を😊]

ダンサーから国際的な映画スターへ — マッツ・ミケルセン、彼の長く魅力的なキャリアについて

彼は、デンマークの映画産業が花開いた90年代中盤から、デンマーク映画の顔でありつづけて来た。21世紀には、彼は史上最も巨大なフランチャイズのうち3つ、すなわちスターウォーズ、マーベル、そしてジェームス・ボンド、に参加し、大きな国際的なブレイクスルーをむかえた。Filmtopp[このインタビューを行ってくれたメディア]は、この俳優の様々な表情を見せるキャリアについて独占インタビューをするため、マッツ・ミケルセンと会った。

そのデンマーク映画スターであるマッツ・ミケルセンは、コミコン・ストックホルムにいた。彼はファンとより多くの時間を過ごすためにプレスとのインタビューを断ったが、Filmtoppはこのカリスマ的な俳優と独占で会話をすることができた。

マッツ・ミケルセンのキャリアを魅力的にしていることの一つは、彼は俳優になる壮大な計画を立てたことがなかったということだ。彼は1987年にGothenburgのBallet Academyで[キャリアを]始めて、30年後には彼は世界で最も巨大な映画フランチャイズのいくつかで大役[leading rolesとありますが]の座を得ていた。さらに奇妙なのは、同じことが彼の兄であるラース・ミケルセンにも言えることだ。彼はストリート・アーティストからキャリアを始め、その後House of CardsやSherlockと言った製作で輝きを放っている。

「僕の旅はダンスの世界で始まった」とマッツは言う。「僕は体操選手で、その後、たまたま、ダンサーになった。その後しばらくして、僕はダンスのドラマ的な面により興味を持つようになって、俳優になると決めた。僕の兄は別の角度から始めた。僕は彼に3つのボールでジャグリングをする方法を教えた。彼はそれがとても上手くなって、すぐに5つでできるようになった。そして彼は、かなりクレイジーなんだけど、ストリート・サーカスで[キャリアを]始めて、それを通じて、彼は演じることに興味を持つようになった」

1992年から96年の間にマッツはドラマを学んだ。 彼が卒業する年に、彼のデビュー作でありブレイクスルー作品でもあるPusherが公開された。その作品はリアルなドラッグ・ドラマであり、もう一人の新人であるニコラス・ウィンディング・レフンによって監督されていた。レフンは、高く評価されたPusher三部作ののち、DriveやThe Neon Demonと言った作品で成功を収めている。

「ニコラスはエディターとして映画学校に入ったけれど、監督になりたかった。だから彼は、エディターとして学校に残るかPusherをするかを決めないといけなかった。その作品のために彼はお金を貯めていた。彼はその学校をドロップアウトした最初の人じゃないかと思う。そこに入るのはとても難しかった」

あなたとあなたのお兄さんに話を戻すと、あなた方がそれらの大きな役を得たとき、あなた方はそれについてお互いどのように話されるんですか?話すのは難しいですか?

「いいや、それは楽しいよ!僕たちは、[キャリアを]始めたとき、今のようなことを一切予期していなかった。僕は映画が大好きで、アメリカとロシアで目にしたことを思い起こさせる何かをデンマークでしたいと思っていた。それは僕の夢で、そして幸運なことに、僕はニコラスに出会った。僕の兄は劇場と恋に落ちていて、偉大なクラシック作品と奮闘しながらステージに立ちたいと思っていた。僕たちはハリウッドに行くだろうなんてことを考えたことはなかった。僕たちは俳優になることについて本当に考えたことはなかった。だから今、彼がHouse of Cardsをやっていて僕がドクター・ストレンジのような映画をやっているということが実際に起きているのは… ほんとバカみたいに非現実的[fucking surreal]だよ!」

「僕たち[“Vi”。訳し忘れ?]がデンマーク映画の限界を押しやったんだ」
[写真キャプション] Eric Diedrichsに、彼らがどうデンマーク映画の限界を押しやったかを説明するマッツ・ミケルセン

マッツ・ミケルセンのキャリアにはたくさんのハイライトがある。すでに述べた作品の他に、アカデミー賞の「Best Foreign Language Film [“外国語映画賞”]」にノミネートされた3つの作品がある: 偽りなき者、After the Wedding、そしてA Royal Affair。それに加えて、高く評価されている人間関係のドラマであるOpen Hearts、戦争ドラマであるFlame & Citron、そしてカルト的な[cult-declared]ハンニバルシリーズ。マッツは、彼のキャリアにおける最も決定的な瞬間について語った。

「Pusherは決定的だった。それは僕の最初の映画だしニコラスを知ったものだから。偽りなき者。それは創造性においてダウンして[行き詰まって]いたTomas Vinterbergが、この素晴らしい国際的な成功で返り咲いたものだから。Anders Tomas Jensenとの僕の作品も。ダークコメディであるFlickering LightsとThe Green Butchersで、僕たちはデンマークの映画に許されることについての限界を押しやった。僕たちはミニマリスト的でほとんどドキュメンタリーのような作品で知られる世代に属していて、そこで僕たちはこんな限界を突き抜けているキャラ達ででもって、こういったクレイジーな映画をして、やり抜けたんだ。国際的に言えば、ボンド映画がもちろんドアを開いた作品だった」

ミニマリスト的でナチュラルな映画製作の世界の入り口に[立っ]て、あなたとメソッド演技法[method acting]との関係は何ですか?

「メソッド演技法は神話に包まれてる。君は髭を伸ばしたり、20kg体重を増やしたり、ビデオ屋さんに3ヶ月立ったりするんだ。僕がBleederの撮影をする前にしたようにね。それはメソッド演技法じゃない。それはリサーチだ。メソッド演技法というのは実際はむしろ退屈なテクニックで、ある特定の感情を特別な動作と関連づけるというものなんだ。君はカップに触れた瞬間、君はある感情を思い出さないといけない。それをするには、君は、君が紐づけたいと思う感情を思い出しながらカップに入ったコーヒーを全く同じやり方で40回飲む必要がある。それは僕がエキスパートではない体系だよ。でも他の人にはいいもの」

マッツ・ミケルセンにとっては、それ[演じるということ]はいつも、彼が演じる役柄と一致しない面を彼自身から剥ぎ取ることだと説明する:

「それはすべて、層を剥ぎ取ることなんだ。僕はその役とその脚本に集中し、そして僕はすべてのこと、すべての感情を認識する。時にはそれらは僕の中に大きなスペースを占めていて、時にはそうでもない。そうでもないときは、僕は僕とその役の間にある類似点を強調して、一致しない部分を剥ぎ取っていく。それは[ものを捨て去るというよりは]寧ろものを残していくことだ。」

あなたの次の映画であるArcticでは、あなたは北極に墜落し、その厳しい景色の中で何ヶ月も生き延びないといけなくなった男性を演じています。それはアイスランドで撮影されましたが、あなたはその気候に対して準備をしなかったと聞きましたが…?

「誰も、墜落に巻き込まれて生き延びねばならなくなるだろうと予期したりなんかしない。僕はあれやそれをどうすればいいのかをしっかり知っておきたいとは思わなかった。それは自分がそこにいるときに学ばないとならないことなんだ」

「大事なのは役についてであって、訛りについてではない」
[写真キャプション] Eric Diedrichsとマッツ・ミケルセンが訛りについて議論をしている。

2013年から2015年の間に、マッツ・ミケルセンはTVシリーズ『ハンニバル』にて主役を務めた。その作品で僕たちは、かつてSir Anthony Hopkinsによって演じられたポップカルチャーの最も有名な食人者としての彼を見た。マッツはそういったよく知られている役を演じることがどれほど困難であったか説明した。

「それは挑戦だった。僕たちは、ハンニバル・レクターがすべての役において最もアイコニックなホラー役のひとつ、あるいは一番アイコニックなホラー役、であって、既に完璧なまで作り上げられていたことを十二分に知っていた。でも僕たちはまた、僕たちが何か完全に違うことをしようとしていたことも理解している[た]。アンソニー・ホプキンスはたった14分[fourteen]しか画面に出てくる時間はなかった。僕たちには13時間のエピソードからなる3シーズンがあった。僕たちは物語を違うテンポで語ることができて、カードを出さずにおくことができて、別の構成で仕事をすることができた。それが僕に興味を持たせた。でもそれは大変だったよ。」

「誰もがハンニバルはとても英国的で完璧なイギリス英語を使うという考えを持っていたけれど、彼は実際はリトアニア出身だった。彼はフランスと東京で勉強し、その後アメリカにたどり着いた。だから僕はイギリス英語の風合いを僕自身の訛りに付け足したんだ。」

訛りをつけて仕事をするのは難しいですか?ハリウッドでは、あなたは様々なヨーロッパ出身の悪役を演じられてきました。あなたは自身の訛りをそれに合わせて調節されますか?

「アメリカ英語とイギリス英語にスイッチを切り替えるのが上手なスウェーデンとデンマークの俳優たちはいる。他[の訛り]については、彼らはただ正確に発音することにだけ集中していて、彼らの役については忘れていることが誰でも分かるよ。僕は、訛りが集中力をかなり削いでしまうと僕の演技のスキルが失われかねないと知ってる。数年前に僕は決めたんだ、シンプルに最善を尽くして、訛りはどう転ぼうとまかせようって。もしその役がロシア人のような音の名前だったとしても、僕たちはそれでやり通す。大事なのはすべて役であって、訛りじゃないんだ」

『ハンニバル』を通じて、僕たちはハンニバル博士が彼の見事な(そして野蛮な)料理を準備するところが見れる。マッツは、そのシリーズをすることで身に付けた料理のトリックについて僕たちに語った。

「僕たちは非常にたくさんのすごい料理をしたよ!僕はたくさんのトリックを習った。もちろん、食事を完成させたり盛付けしたりはしなかったけど、トリックは全部やったんだ。フランベしたし、吊り下げもした。チョップもした。僕はチョップするのがすごくうまいんだ。いや違う、僕はそれをするのが素晴らしいんだ!それはとても楽しかったよ。料理は美味しかった。あとで僕たちに料理をサーブしてくれる素晴らしいコックがいて、僕たちはいつも本物の料理、もちろん人肉と内臓は無しのものと、同じようなより優しいバージョンのもの[ビーガン向けとか]とから選ぶことができた。僕はいつも本当の方を選んでて、それはすごく美味しかった!」

「彼らはLars von Trierがナチスではないと知っていた」
[写真キャプション]Lars von Trierについて語るマッツ・ミケルセン

両者とも、いろんな意味で、デンマーク映画の顔であるにもかかわらず、マッツ・ミケルセンは90年代中盤のドグマ[DOGMA]ムーブメントとともに大きなブレイクスルーを経たデンマークの監督であるLars von Trierと仕事をしたことがない。そのドグマ作品というものは、最終目標を「役と設定から真実を引きずり出すこと」とする10のルールを中心としている。例えば、追加の光源なしで、自然環境の中で、セットや小道具なしで撮影することによって。僕はマッツがその有名な監督といずれコラボレーションすることについてどう感じているか興味があった。

「Lars[お兄さんではないので英字]はデンマーク映画に対してたくさんの偉大なことしてきた。彼は僕たちを地図上に載せて[デンマーク映画を国際的に認知させて]、ドグマの概念を打ち立てるほどにスマートだったけど、僕はそのファンだったことは一度もない。僕が言いたいのは、もし君が予算のある映画をしたいのなら、すごいね、ただそれをやりなよ、と。何故君が何もライトのセットしていないのかの言い訳を聞かせないでくれ。僕たちはPusherでは何の追加の光源も持っていなかった。僕たちには買えなかった。映画のエネルギーというものは、いつだってその物語と登場人物にフォーカスが合っているんだ。もし君がそれを覚えるのに10のルールが必要なら、もちろん、いいんじゃない。大事なものが何かを思い出せないほど技術に集中しすぎてしまう監督たちにとっては、それはいいのかもしれない。でもLarsはいくつかの素晴らしい作品を作った。他に比べられるものなんてない[There’s no way around it.の意訳]。僕たちは彼に負うところがたくさんある。」

Lars Von Trieの映画「Melancholia」がカンヌ映画祭で祝福されたすぐ後に、その監督はpersona non grata[カンヌの出禁]になりました。それはナチズムについてのジョークのためで、それによって長期間メディアによって狩られることとなりました。

「カンヌで起きたことのあとでもLarsはまだ仕事していて、僕は嬉しいよ。それは、野獣のようになってしまったポリティカル・コレクトさの世界の、ヒステリックでおぞましい一例だ。あの部屋にいたジャーナリストのみんなは彼がどんな人か知っていた。彼らは彼のユーモアがどんなものか知っていたし、彼の芯にはユダヤ人の血があることを知っていた。彼がナチスでないことを知っていたんだ。彼らは知っていた、でも自分たち自信を抑えきれなかった。彼らは自分たちがどれほどの力を持っているのか、彼を壊すことができるかをただ見たかった。そして彼らはやったんだ。見るに耐えない災害だ。Larsは時に奇妙だ。奇妙なんだよ。彼は楽しくないジョークや君が理解できないジョークも言える。でも、レイシスト?違う。ナチス?違うよ。起きたことは残念だった。誰も彼のために立ち上がらなかったことは残念だった。それが起こり得てしまったことが残念だし、それが起こり続けることも残念だ。君はスウェーデン出身だから、僕が何を言いたいか分かるよね。」

でももし彼があなたに尋ねたら、あなたは彼と映画を作りますか?

「状況によるよ。僕たちは何回か一緒にいたことがあって、僕は彼をある意味で本当に好きだ。でも、僕たちが仕事でコミュニケーションを取れるかというと、それは別の話だ。でも、できなくはない[could]と思うよ」

あなた方はいいコンビみたいですね。

「うん、うん僕たちはそんな感じだよ。一つの部屋に二つの小さなエゴ。」とマッツは笑った。

「僕はいっつも盗んでるよ!」
[写真キャプション] 小道具を盗むことについて、マッツミケルセン[めっちゃ真顔]

マッツが『カジノ・ロワイヤル』で血の涙を流すボンドの悪役ル・シッフルを演じたとき、国際的に大きなブレイクスルーが訪れた。それからというもの、彼はスター・ウォーズ映画『ローグ・ワン』におけるデス・スターの設計者であり、『ドクター・ストレンジ』におけるベネディクト・カンバーバッチのカンフーをマスターした宿敵であった。彼が作り続けてきた映画の幅広さを考えると、僕はマッツに何かお土産に盗んだかどうか聞かずにはいられなかった。

「僕はいっつも盗んでるよ!ボンド映画では、僕はル・シッフルの時計を盗んで、スター・ウォーズでは、また君には言えないあるものを盗んだ。彼らはそれを返してほしいかもしれない。スター・ウォーズの映画に出て、何も盗らないのは考えられない。それはしなきゃならない。じゃないとバカだ。もちろん、僕はダース・ベイダーのヘルメットを持って逃げたんじゃない、でも僕はあるものをもらった。僕がそこにいたこと、僕がスター・ウォーズ映画にいたってことを思い出させるものとしてね。」

「初めてそのセットに到着したとき、それは奇妙な気持ちだった。僕はデンマークから飛んできたばかりで、そしてストームトゥルーパーのヘルメットがずらっと並んだ100mの長さのテーブルのあるその巨大な部屋に入ったんだ。それは非現実的だった。そして、ハッと気付くんだ、あぁそうだ、僕がデス・スターを作った人だって。頭おかしいよ!」

あなたはこれから世に出る作品が4つあります[意訳four movies in the pipeline]。ちょっとだけ特にプッシュしたい役はありますか?

「それらの作品が今出てくるのを見るのは変な感じだ。僕は今7ヶ月間映画の仕事をしてない。でもどれも全部大好きだよ。Arcticは色んな意味で伝統的なサバイバル映画で、でも僕にはそれがまた美しくてとてもラジカルにも見えるんだ。それは心が張り裂けそうなものだ。僕はまたある作品も推したいと思う。面白いことにそれはPolarっていうんだけど。もし君がグラフィック・ノベルのファンなら、作者のVictor Santosに馴染みがあるだろう。Polarはあるヒットマンについての彼の物語なんだ。僕たちはたくさんのハードボイルドで激しい[in-your-face]アクションをしてる。それを作るのはすごく楽しかったよ!」


 
このインタビュー、濃い…!

ラースお兄さんとの話も興味深ければ、Lars Von Trier監督と気が合わなさそうなのが最後に噴き出すジョークで終わってたり、ファンに会いたいからとインタビューできるだけ断ってるところとか胸キュンだし、またチョップがうまいこと語ってるの可愛いし、Polarはアクションしまくりですごそうだし(&マッツ楽しんでるの嬉しいし)Arcticは辛そうだし、、。ちょっと整理できないので整理できたらここ書き直します。。