『Another Round』監督インタビュー(2020/6)


マッツの新作『Another Round (原題: Druk)』は、『偽りなき者』の監督トマス・ヴィンターベアさんとマッツが再度タッグを組んだ作品ですが、実はこの作品の撮影を開始して間もない頃、監督の娘さんが交通事故で亡くなるという悲しい出来事が起きていました。

監督のプライベートのことであり、あまり公に語るべきではないと思いますが、監督が今回デンマークの各種テレビやメディアで語っており、作品とも少なからず関係することが読み取れたので、Twitterでは呟きませんがこのblogに知った内容をまとめておきます。作品自体の記事はこちら

この文脈で作品を語ることを監督は望んでいないようですので、日本のメディアの方もこの点を留意していただけたらなと思います。どうかよろしくお願いいたします。

Druk』の撮影が開始されたとの情報がメディアに出てきて、監督とキャストの集合写真が出てきた数日後に、監督の19歳の娘さんIda(デンマーク語では”イダ”が音が近そうなので以下そう記載します)さんがベルギーで交通事故に遭い亡くなったとのニュースが流れてきました。このため撮影が延期されていましたが、その後1ヶ月ちょっと経った頃に撮影が再開されたとの情報と、別の集合写真がメディアに出てきていました。

その後作品が完成し、デンマークプレミアの日程が発表され、カンヌの2020レーベル選出の情報が出た後、今回の監督のインタビューがテレビおよびメディアで公開となりました。

以下は今回の各メディアの記事の全部あるいは抜粋の翻訳です。「」は監督の言葉。「」は翻訳省略です。いつものように[ ]は私の補足、固有名詞の和約は適当です。デンマーク語からの翻訳なので誤訳もあると思うのでご注意ください。また、私の翻訳で知った情報をSNSなどで使う場合は必ずソースを明記してください


●BT
https://www.bt.dk/kendte/thomas-vinterberg-med-opfordring-efter-tabet-af-sin-datter-jeg-har-oplevet-en-meget

映画監督トマス・ヴィンターベアは、親であれば一番恐れるであろうことを昨年娘を交通事故で亡くし経験した

19歳のIdaさんは、201954日に母親と一緒にベルギーの高速道路で列に並んでいたとき、後続車に追突された。

“21 Søndag”でのインタビューで、その51歳の映画監督は、その闇で覆われるような悲嘆に暮れるなかで、ある一つだけはっきりしたことに気付いたと語った。

「僕はとても重要なことを知った。それは、僕はIdaととてもとても強い関係を結んでいたということだ。それはとても純粋[ren]で、それはとても信頼できるものだった。その関係性を持てたことで、今がある」と言った。

「もし僕たちが何か諍いや何か未解決のものがあったなら一体どうなっていただろう。そんなことは全く何も想像もできないんだ。そして、これがアドバイスのようなものだと思う。みんな、きれいにできていないものがあるなら、それをきれいにすべきなんだ」

彼は、仕事もだが、似たことを経験してきた人たちに会って話を聞くことが、彼を希望のある場所に連れ戻してくれたと言う。

その映画監督は、彼の娘を亡くしたことについて公に話すべきか自信がなかった。その喪失は、彼の言葉で言うと、彼にとってとてもプライベートなものだった。

しかし“21 Søndag”では、彼は人生を変えた日の後の生活について口を開き、彼の言葉で他の状況についても語った。

例えば、高速道路で車に乗っているトマス・ヴィンターベアのことが分かる。今でも抱えている苦しみだけではなく、高速道路を走っている間に電話をしている人たちを彼が見かけたときの気持ちを。

彼の娘と前妻が乗った車の後ろを走っていたドライバーは、電話をしていて前方が詰まっていることに気付かなかった。

トマス・ヴィンターベアはそのインタビューで、彼の世界では新作映画『Druk』は彼の娘と切り離せないほどに結びついており、だからこそ彼は彼の悲嘆について話すことを選んだと述べた。

彼の娘はその作品に密接に関係していて、製作中に彼女の存在が感じ取れるほどであったと言う。そしてその作品は彼女のために作られたものである、と彼は言った。

 

●DR
https://www.dr.dk/nyheder/kultur/film/thomas-vinterberg-mistede-sin-datter-i-en-tragisk-ulykke-nu-hylder-han-hende-i

その作品はトマス・ヴィンターベアの娘であるイダ[Ida]・ヴィンターベアとの密接なコラボレーションで作られた。彼女は昨年、ベルギーでの酷い交通事故のため亡くなっている。

「僕はそれについてとてもたくさん考え続けている。そして、ここにいる今でも少し震えている」とトマス・ヴィンターベアは語る。彼は、イダの話がこの作品とは切っても切り離せないものであるため、彼の話を語ることを決意した。

「僕たちはその作品をイダに向けて、イダのために作った。と同時に、僕はそれについて何度も語りたくはないし、その話を持ってあちこち行きたくはない。それは完全に間違っているように感じられると思う」

[この作品を語る際にこの件を紐づけてほしくないという意向が読み取れるので、日本のメディアの方もこの件をあまり取り上げすぎないよう祈ってます。]

彼女の教室で、彼女の友人達の中で起こる

Druk』は、ずっと酔っ払った状態でいる実験をする長年の友人達のグループについての作品だ。長いあいだ、イダ・ヴィンターベアは父親にその映画を作るよう応援し続けていた。彼女はその作品に参加する予定だった。また、その物語は彼女の教室、彼女の友人達の中が舞台となっている。

「僕にとっては、何か特別なことをすることがとても重要になっている。重要でないことに時間を無駄にすることはできない」とそのデンマーク人の有名な監督は言う。

「その作品を作ることで彼女が現実にいるように感じられた」

その事故は昨年起こった。トマス・ヴィンターベアの19歳の娘は、パリに滞在したのちに彼女の母親とともにデンマークの家へと帰る途中であった。

「家に車で帰る途中、道路工事があったため車の列に停まって並んでいて、後ろからルーマニア人作業員が運転する大きなバンに追突された。そいつは携帯電話で話をしていて前方の列に気付かなかった」

イダ・ヴィンターベアはその場で亡くなった。

突然、映画作品を作った年月はどうでもよくなり、撮影は無期限延期となった。その悲嘆はトマス・ヴィンターベアのすべてを埋め尽くしたが、少しずつその作品へと戻っていった。

彼はそれを娘へ捧げるもの[オマージュ; hyldest]として作った。

「僕は、その作品をただの楽しい小話ではなくて人生を肯定するようなものに持ち上げるために全力を尽くすと自分自身に誓った。僕はその作品がイダのおかげだと思っているから」と言った。

人は人間関係をきれいにし続けなけばいけない

Druk』はそろそろ観客達の中で生きることとなる。

トマス・ヴィンターベアは、子供を亡くすという筆舌しがたい悲劇から学んだことを語ってくれた。

「僕は一つの重要なことを学んだ。僕はイダと強い結びつきを持っていた。それはとてもきれいで信頼の置けるものだった。もし僕たちがきれいではない関係、諍いや何かしら未解決のものを持っていたならどうなっていたかなんて、想像することもできない」と彼はいいこう言って終わった。

「これはアドバイスみたいなものかもしれない。みな、人間関係をきれいにしておかないといけなくて、まだきれいにできていないことについては、きれいにしなきゃいけない。それは誰かが死ぬ場合だけに限らない。それは人生のどのような時期であっても、役立つことだと思う。」

 

●SE og HØR
https://www.seoghoer.dk/kendte/foerste-gang-taler-thomas-vinterberg-om-tabet-af-sin-datter

彼は、娘が苦痛を感じることなく即死したということを知れて、少しは心が穏やかになったと語った。

悲しみはまだ彼の心を深く覆っていて、イダが他の家族と一緒に映っている動画をまだ見る勇気がないという。

「今は壁に掛かった彼女の写真を見ることができるようになった。それは外すつもりはないし、新しいものをかけることもできない。多分来年かな。そうしたら僕たちはこの暗闇から抜け出ていける」とPolitikenに語った。

 

●Ekstra Bladet
https://ekstrabladet.dk/flash/dkkendte/thomas-vinterberg-efter-datterens-doed-hun-var-saa-livloes…-og-smuk/8172565

想像できる中で一番悪い電話を映画監督トマス・ヴィンターベアが受けてから14ヶ月経とうとしている。

昨年の5/4に、彼と彼の娘ナナは、ナナの姉妹でありトマス・ヴィンターベアの19歳の娘であるイダに連絡しようとしたとき、その恐ろしい考えを既に持っていた。彼らはイダと彼女たちの母親であるマリアがベルギーの高速道路にいると知っていたが、電話は留守電につながった。

彼はPolitikenに語った。

今や消えてしまったベルギーの番号からの電話を、トマス・ヴィンターベアは急いで取った。医者が彼に、酷い交通事故が起こったと告げた。彼はさらに話し続けたが、トマス・ヴィンターベアはそれを遮り、彼の娘が生きているかどうかを知りたいとすぐに要求した。

残念ながら、彼女は生き延びることができなかった、との言葉。それが彼の家族の人生を永遠に変えてしまった。

これはトマス・ヴィンターベアが彼の娘の死について初めて語ったものである。昨年その悲劇が起きたとき、映画会社であるZentropeはその死について短い通知を出した。そしてそのすぐ後に、孫家族はいくつかの新聞にこういう文章を載せた:

「我々の愛する輝かしいイダ・マリア・ヴィンターベアは、201954日に交通事故にて我々から奪われた」

「すべては愛なんだ (It’s All About Love)

….イダはアフリカから戻ってきたばかりで、友人に会うために数日間パリに行こうとしていた。しかしSASがストライキをしていたので、彼女の母親がそこまで車で送っていた。[別の記事と言ってる内容が違う]

…その医者からの電話の少し前に、イダは父親の電話に1つの写真を送っていた。彼女が道路で見かけた標識の写真に、「It’s All About Love (すべては愛なんだ)」という文字をつけて。そして彼女は母親とともに最後の旅に出かけた。

Politikenとのインタビューで、トマス・ヴィンターベアは家族全員がCharlottenlundにある庭にすぐに集まったこと、数日後にイダの母親に会うためにベルギーに行ったこと(彼女は現在怪我はほぼ回復している)、そして遺体安置所でイダに会ったことについて語った。

「彼女は生気を失っていたそして美しかった」とトマス・ヴィンターベアは語った。

新作のために語った

その映画監督は、娘の死にまだかなり影響を受けている。その事故ののち、映画『Druk』の撮影は中止した。しかし葬儀ののち、彼らはそれを再開した。イダの卒業した高校を舞台とするその映画は、彼女に向けた、彼女のための作品だと彼は言った。また、彼の精神科医が言うように、仕事に戻ることが何か助けになるのではと彼は考えていた。

イダ・マリア・ヴィンターベアはその映画『Druk』で主役[恐らくマッツ]の娘を演じる予定だった。代わりに、マッツ・ミケルセンが二人の息子を持つよう脚本が書き換えられた。


 

私も家族を亡くしたことがありますし、子供に先立たれた親の悲しみも身近で見たことがあるのでなかなか辛いです。ただ、この作品はそういう文脈の中で見てほしくはないだろうと思うので、一度は忘れて楽しみたいなと思います。