ムキー!となるマッツ(2016/3/21 Flaunt Magazine)


マッツソースさんのアーカイブ見てて気に入ったインタビューの和訳です。元記事に大きい写真もあるのでぜひ行ってみてください。

 
なお、マッツがやや汚めな言葉使ったりするのが受け入れられない人は読まない方がいいかもです。さほどないけど。

いつものように直訳気味、[ ]は私の補足、()は元記事にある補足、固有名詞の和訳は適当。私の和訳で知った情報を使う場合は、必ずソースを明記してください。


(Source: http://www.flaunt.com/content/people/mads-mikkelsen)

マッツ・ミケルセン

プレッシャーがなければダイヤモンドはできない [No Pressure, No Diamonds]

「僕は最初に『motherfucker [“母親とヤッたやつ”という意味の罵り言葉]』という言葉を聞いたときのことを覚えてるんだけど」と、シルバー・レイクにある小さなメキシカンの店でチキンタコスとPacifico[ビール]の遅い昼食を取りながら、僕はマッツ・ミケルセンに言った。「僕はそれは見事[*]だなと思った」。

「それは見事[*]だね」と彼は言う。
[*”brilliant”。”巧く言ったもの”と言うニュアンスです]

これが僕たちの会話のレベルだった。

僕たちは、その通りにあるMack Sennett Studiosで数時間前に会った。その48歳のデンマーク人俳優には何かとても自然体な部分があって、それは煙を出す機械に挟まれカメラの前でポーズを取って立っている時でさえ変わらなかった。僕は陰にいた。アシスタント達(1人は通勤にひどく怒りを感じたから『最悪な自転車レーン』に不法駐車した、と別のアシスタントに説明していた)やスタイリスト達、そして背景やフィルター、エフェクトをかけるモニター群の後ろにいた。僕は、ミケルセンが前や後ろに歩き、我慢強く指示を受け、時折ジョークを発するのを見ていた。彼はハンサムで王者の風格がある[regal]、と僕は思った。遡って2011年には、友人であり俳優仲間であるStellan Skarsgårdがミケルセンの代わりにEuropean Achievement in World Cinemaの賞を受け取った際に、彼は冗談めかして「僕は君の見た目を羨ましいとは思わないよ。君はいい見た目じゃないからね。君は『面白い顔』をしている」と言ったけれど。でもこの面白い顔が、万人受け[currency]や、高潔さ、歴史書のページにぴったりの空気力学のようなものを発揮する。

(『Sexiest Man Alive in Denmark [デンマークでもっともセクシーな生きている男]』に何度も投票で選ばれることについて、そのランチ中に彼は僕に言った。「小さなデンマークでは、yesだよ。テレビに出ている誰もがそのうちその『Sexiest Man Alive』になるんだ。それは天気予報をしていようが関係ない。『Ugliest Man Alive [最も醜い生きている男]』よりは『Sexiest Man Alive』である方がよかったけど」と。)

僕は緊張して、強張って、夢を見ている犬のようにそわそわするかと思っていた。2010年にデンマークのマルグレーテ2世女王がこの男を騎士に叙したのだから。しかし、衣装替えの合間にミケルセンが舞台裏の2人掛けのソファにもたれ掛かっている僕の隣に来てソチのアイスホッケーについて語り合ったとき、僕たちはただの”ソチのアイスホッケーについて語っているソファに座った2人の男”でしかなかった。僕は、アメリカ女性チームの結末はもう、お酒をあおるしかなかったと言い、彼は笑っていた。

その後、裏で立って彼の運転手であるJesúsを待っている間に、僕は彼のシャツの襟を直し、タバコを1本もらった。

そのメキシカンの店で、やっと(車で向かっているあいだ、僕は携帯の地図をキャリブレーションしようとしながら、可哀想なJesúsを6回くらい違う方向に進ませてしまった)、僕たちは後方近くの席についた。そこは静かで薄暗かった。まるで北部ミシガンの広大な野生の中にある神聖な水飲み場のように、あるいはユーコンのどこかにあるモンタナのBig Belt Mountains[連峰]のように、または典型的な白髪混じりの労働階級の気取らない男性と女性向けのパブのように。しかしここは結局はSilver Lakeであって、ワックスで固められた口ひげを生やした隅の男は、ミッキーマウスの帽子を被り片眼鏡を着けている。

マッツはコーラを頼み、僕はビールを頼んだ。それからマッツはビールを頼んだ。

「あなたが俳優のキャリアを歩み始める前は」と僕は言う。「あなたはダンスをしていた。それについて少し教えてください」

「うん、僕はたまたまダンサーだった。たまたま俳優になったのと少し似ている。僕は子供の時は体操選手で、僕たちを見に来た振り付け師がいて、僕たちにミュージカルに参加しないか聞いて来た。彼らは後ろでジャンプしたり回転したり[shit]する人が必要だったんだ。そして、彼女はその後僕にダンスの技巧を学びたくないか聞いてきた。だから計算したんだ: そこには本当に魅力的な女の子[really hot chicks]がたくさんいて、男はそんなにたくさんいなかった。僕はそこにしばらく、8年か9年はいた」

「ダンスで身に付けたスキルのどれかは、演じることにもオーバーラップした?」

料理が到着した。ミケルセンは答える前にウェイターにお礼を言った。「それについてはそんなに意識してない。でも明らかに僕は僕自身を肉体的に理解している。どの役柄もあるエネルギーを持っている。そいつは素早かったり鈍かったり、あるいは軽かったり。僕は無意識のうちに、特に指で指し示すようなことなしに、そういったものを使っているんだと思う。僕がダンサーの中で美徳であると学んだことの一つは、鍛錬[discipline]だ」

「あなたは完璧主義者のようなもの?」

「僕は何についても厳しい[anal]と言う意味では完璧主義者じゃないよ。でも僕は何か疑問があったら、何か答えをもらえるようちゃんと主張する。多くの人はそれは一緒に仕事をするのにいいことだと捉えるけど、でも…」と彼は自分自身に笑った。「でも、僕は本当に強く主張することがあるんだ。例えば、これは全っ然うまくいかないから何か他のことやってみよう、ってね」

「書き物についてもそんな風なんだ。もしそれが編集を経て誰かがコンマを1つ移動させたりしたら、僕はムキーっとなる[freak out]」

マッツ・ミケルセンは笑った。ゆったりした[deliberate]反応。その面白い顔が和らいだ。この顔を表現しようとすることは、まるで空や、石の上での型に収まらない水の遊びを表現しようとするようなものだろう。彼のインクを落としたような目は、激情を秘めているようにも、淋しそうにさえ、簡単に誤解されうる。その両目は、何か揺るがない論理、何らかの理由でそこに傷のように残された一連の原理を秘めているように思える。この男が[実際は]天然っぽい[goofball]のは爽やかな気分だ。

それが、偉大な俳優たちがもつ言葉で言い表せない自己表現と言うものだ。その内に秘められた”何か”は、彼らが演じる役柄を悪くも(2006年の『カジノ・ロワイヤル』でジェームス・ボンドを誘拐し、ロープのついた絨毯叩きで彼の金的を繰り返し鞭打つ拷問までしたル・シッフル)、外道にも(2009年の『ヴァルハラ・ライジング』にて敵の内臓を引きずり出した無言の北欧の戦士)、弱々しくも(2012年の『偽りなき者』にて子供に性的虐待したと誤解され非難された孤独な幼稚園の先生であるルーカス)見せる。なぜなら、これらの役は僕たちみんなを代表するものであるし、僕たちの一人一人は”僕たち自身”の一つの軸であり、精神の破片の乱雑な流れであるから。偉大な俳優というものは、その破片を叩き割って掘り下げていき、僕たちを”本質的に”人たらしめているものを投影することができる。

そういった投影の一つは、びっくりするもの[fun-housed]ではあるけれど、NBCの有名なシリーズであるハンニバル・レクター博士というミケルセンの演技の形となった。

「ハンニバルについて話をしよう」と僕は言った。

ミケルセンは僕のほとんど空になったビールを指差した。「君早いね」

「僕の最初の1杯はいつもすぐなくなるんだよ」

「僕は2杯目だな、いつもすぐになくなるのは」と彼は言った。「あと3杯目も」

「ウィスキーは好き?」

「いや」と彼は答える。「[fucking]デオドラントみたいな味がする!」

「君のtacoはどう?」

「美味しいよ、美味しい」と彼は僕に言い、それから、真面目な話に戻った。「ハンニバルでは、僕たちはある男のことを取り扱ってる。そいつは、必要に迫られて、友人を作ろうと頑張り、できる限り普通のように振る舞おうとしている。彼は、まぁ、スリーピースのスーツにアート収集家なんだけど。色々感づくだろう?彼はエキゾチックだ。彼は面白いアクセントを持っている。でも僕は彼はとても正直な男だと思うんだ。彼は感情的で、彼は共感を感じる。ただ彼と(ヒュー・ダンシーが演じる)Grahamの役の違いは、明らかに、彼は管理している、彼はコントロールしているんだ。僕がいつ幸せなのかは僕が決める。僕がいつ悲しいかは僕が決める。」

「そういう計算された役を演じるのは難しい?」

「いつ彼が瞬きし、いつ彼が人間になるかは、一つの決断なんだ」とミケルセンは言う。ありがたいことに三人称に戻してくれて。「彼はマスタープランを持っていない。”これが彼が見せたい一面である”ということは、その状況での一つの決断なんだ。”あれをすること”の反対としての”これをすること”による利点。僕が言いたいのは、どの役でも演じるのは一つの挑戦であって、でも僕はそこには美しい単純さがあると思う。僕は、彼は君や僕と同じくらい正直でありうると思う。ただ、ある状況下では、彼は他の誰ともまったく違う反応をするだろう。彼は何を、いつ見せるか決める。そしてそれは全部彼のサーカスなんだ」

「ゴールはその人を人間的にすること?」

「”人間的にする [humanize]”は、食人する人に対しては難しい言葉だ」と彼は言った。

そしてハンニバルは観察者として、マッツが言うところの「恐怖の中に美を見出す」「あの堕天使」として、存在する。

「彼の興味はウィル・グレアムとともにある。彼は彼が興味深いと気付き、彼は好奇心を掻き立てられた。彼のミッションは彼と近しくなり友人になることだ。そして願わくば、ある日、彼に光を見せること。それはきっと美しいだろう。」

「それか彼を食べるかもね」

「たしかに」彼は言う。「僕は誰でも食べる可能性がある」。 [一人称]

食事は終わった。僕たちはタバコを吸いに外に出た。そこではJesúsがマッツ・ミケルセンを他の予定に向けて連れ出すために待っていた。あの週末のオスカーに関連する何かの予定だ。そして僕はやっと、ムービー・スターであり、ナイトであり、最もセクシーな生きている男とタバコを吸っているということに打ちのめされた。しかし誰でも、彼がメディアの注目と公共の大混乱に満たされた場所に生き、絶え間ない時差ボケとホテルでの生活を送っていることを忘れるものだ。

「Ray Winstoneって知ってる?」とマッツは言う。「かなり強いコックニーの訛り。僕たちは(アイルランドで)『キング・アーサー』を撮っていて、あるとき僕たちは車をレンタルしてBallymena[地区]の外にいたんだ。Rayは道が分からなくなってしまって、僕たちはその村で迷子になった。彼は窓を下げて、そこにお爺さんがいたんだけど、Rayは言ったんだ。その強いコックニーの訛りでね。”あのー、ちょっと、ちょっと。Rocklandへの一番早い道[way]はどれですか?”ってね。そのお爺さんは彼をただ見て言った。”車で行くんですか?あなた”と。Rayは”えぇ”みたいなこと言って。そしたらそのお爺さんは言ったんだ”じゃぁ、それが一番早い方法[way]ですよ”って」

僕たちは笑った。

「それで他の話思い出したよ」と僕は言った。「地元のミシガンに戻ったとき、あるカフェの外のベンチに座ってるフィンランド人の老人がいたんだ。そこにイリノイのナンバープレートをつけたおしゃれな車が止まって、運転手が窓をさげて言ったんだ。”次の街まで行くにはこの道をずっと進んでいいかな?[Can I take this road..?]”って。そしたらそのお爺さんは見上げて答えたんだ。”別に構わないよ[I don’t give a shit]”って」

また僕たちは笑った。ゆったりした反応。この特定の時間と場所で、お互いに特定の面を相手に見せることを選んで。そしてここSilver Lakeの歩道に立って、僕たちはただの”Silver Lakeの歩道に立って、別の時間と場所の2人の男、’別に構わない’男たちについて話をしている2人の男”だった。


マッツ今回お下品ワード多い笑(思わず全部[ ]で原文を補足してます)。日常会話ではこういうの割と普通だけどマッツのインタビューで見るのはあまりないです。